祐天吉松
もともとスリ稼業の吉松は、ひょんなことから100万両の両替商、本所は加賀屋七兵衛の入り婿となった。
子供も生まれ、昔の悪事からすっかり足を洗い、今じゃまじめに働いている。 そんな吉松のもとに、ふらりと訪れたのは立花金五郎、浪人くずれの極悪人だ。
「よお、吉松、てめえ、結構な、ご身分だな」
厭な野郎に出合ったと思ったが、
「ここいらで、100万両の両替商、加賀屋の婿は、元腕っこきのスリでございと触れ回ったら、千客万来間違いなしだな、おい。それがイヤなら3両貸してくれ」
と言われればしょうがない、3両渡して帰ってもらった。
さて、1週間が無事に過ぎ(嘘つけ。江戸時代には1週間なんていう時間の単位はないだろう? 12日で一回りかな?)たある日のこと、
「やい、吉松、こんだ、10両貸してくれ」
さらに次の日、
「やい、吉松、こんだ、50両貸してくれ」
さすがに吉松、これには困って
「立花、おれだって、金の成る木を持ってるわけじゃない。50両なんて言ってくれるな、ここに20両ある。これを持ってけえって、2度とその面、ここにはださねぇでくれ」
ぽんと20両渡すと、その場は立花は「明日また来るぜ、こんだ100両用意しときな」と棄て台詞を残して帰ったが、さすがに吉松も考えた。あんな、糞の役にも立たない蛆虫は、生かしておいちゃ世のためにはならねぇ。
そこで吉原へ続く柳の木の下で待ち伏せし、出会い頭にバサッと叩き切った。
−−ここにおいらが残っちゃ加賀屋に迷惑をかける。いっちょ草鞋を履くとするか。
そして3年、ほとぼりもさめただろうと江戸に帰った祐天吉松、本所に帰ってみてみれば、加賀屋の屋敷は跡形無い。3年前に大火事を出し、その後の行方は誰も知らない。
しょうがないので口利き屋の三河屋万蔵のところに草鞋を脱いだ祐天吉松、酒はやらずに女も抱かず、黙々とまじめに仕事をこなす、そんなある日、
「おい吉松」
と、万蔵、
「おめぇ、おいらんとこの娘のお花を嫁にしねぇか、お花がおめぇにぞっこんでな、おいらもてめぇなら合点だ」
「だんな、そいつは無理な相談でさ。おいらは、女房子供を捜す身だ。見つかったらお花さんを泣かすことにならぁな」
「なんでぇ、そんな事情があったのけぇ。でもまあ、気にすんな。お花がてめぇがいいってんだから文句はあるめぇ。元の女房を見つけたら、お花は妾にすりゃあいい」
ちょっとは考えた祐天吉松、
「親分、やっぱりお断りしやすぜ」
すると、物陰から聞き耳立ててたお花が飛び出して
「吉松っぁん、そんなことを言わないでおくれよ。あんたと夫婦(めおと)になれないくらいなら、いっそお堀に身を投げます。元の奥様が見つかったら妾になってもかまわない」
「おい、吉松よ、娘もこういってることだ、さっさとくっつきな」
「そこまで言われりゃ、男、祐天吉松、お嬢さんをいただきやしょう」
ってな具合に祝言をあげ、晴れて夫婦になって過ごす幸福な日々。
さて、春のある日、花見客で賑わう飛鳥山で、年の頃7歳くらいの辻占売りの子供が、7〜8人の辻占売りの少年から殴る蹴るされてるところに通りかかった。
「やい、小僧共、多勢でふくろたぁ、ちた、卑怯だぞ」
「言うな、オヤジ。このガキは、断りなしに辻占売ってるふてぇ野郎だから、ちとモノの道理ってやつを教えてやってるんだ」
「いいから、勘弁してやれ」
「そいじゃ、酒代よこせ」
「酒代? てめぇらガキの分際で何ぬかすか」
「ほれ、そこの甘酒を呑むのよ」
「けっ、言い訳しやがる。ほらよ、ここに2分あるから、こいつで放してやれ」
散った辻占を見届け、助け起こしたその顔見れば、どこか見覚えあるような、
「おい、小僧、てめぇはなんて名だ?」
「七松」
「七松だぁ?」
「そうよ、おいらの爺さんは加賀屋七兵衛っていう100万両の両替で、ちゃんは祐天吉松っていうろくでなし、爺さんの七と、オヤジの松で七松だい」
「そうけぇ、そうけぇ、しかし、そのオヤジがろくでなしたぁ、どういう意味だ?」
「おいらのちゃんは、3年前に、母ちゃんとおいらを棄ててどっかへ行っちまったんだ」
「そりゃ棄てたんじゃねぇ」
「なんで、おっちゃんがわかるんだい?」
−−いけねぇ、いけねぇ、思わず抱きしめたいのをぐっとこらえる祐天吉松、
「まぁ、気にするねぇ。それよか、その100万両がなんで、こんなとこで辻占売ってんだ?」
「それがよ、おっちゃん、3年前に火付け強盗が家に来て、じっちゃん刺して火をつけて、それで身上なくなったんでぇ」
「なに、とっつあんを刺して、しかも火をつけた? で、そりゃどいつだ」
「立花金五郎って浪人くずれだい」
「なに! 立花の野郎、生きてやがったのか」
「おっちゃん、何、怒ってんだ?」
「まぁ、気にするねぇ。それよか、母ちゃんはどこだ」
「なめくじ長屋で病気で寝込んでらい。そいでおいらが辻占売ってんだ」
「坊主、ここに1両ある。とりあえず、こいつを渡して薬を買え」
「おっちゃん、いったい、なにもんだ? まさか、おいらのちゃんの祐天吉松かい?」
思わずそうだと言おうとしたが、お花の顔が目に浮かぶ。まずはお花に断りのひとつも入れなきゃならない。
「いいから、家に帰れ」
「やっぱりちゃんだろ。他人がおいらの話を聞いて泣いたり怒ったりするわけねぇやい」
「いいから、家に帰れ」
「おいらのちゃんは右の腕には昇り龍、左の腕には降り龍、背中にはでっかな祐天上人の累解脱の彫り物があるって聞いてたが、おっちゃんの腕の彫り物は龍だよね。背中もちょいと見せてくれ」
「偶然だ、気にするねぇ。それよりとっとと家にけえれ」
「おっちゃんも来てくれ」
「なんでだ?」
「いきなり1両持って帰っちゃ、母ちゃんおいらが泥棒したと思うだろ」
「理屈をこくねぇ、でも、確かに坊主の言う通りだ。おっちゃんもついてこう」
しかし、長屋の前まで来ると、さすがに吉松、足が止まった。
「やっぱり、坊主、まずお前が1人で行って来い。おいらはここで待ってるから」
「なんでだ?」
「いいから、行け」
不承不承、1人で七松、家に入って母親に、これこれこうでどうもおいらのちゃんらしい。
「で、その人はどこにいる?」
「家の前で待ってる」
お縫が出て見ると、走り去る男の姿があった。あれは確かに祐天吉松。
「あれ逃げてくよ。やっぱりわたしたちを嫌っているのだね」
「母ちゃん、違うよ。嫌っていたらここまで来ないよ。きっと理由があるんだよ」
家に帰った祐天吉松、何も言わずにお花の前に土下座して
「お花、こういったわけだ。助けてやりてぇが金がねぇ」
「わかってるよあんた、この日が来ることは。何、ほんの3年くらい苦界に身を沈めりゃ済む話だよ。そのかわり、あたしのことも待ってておくれよ」
「かっちけねぇ、恩にきる。てめぇのこたぁ、死んでも忘れねぇ」
吉原に向かうお花を見届けて、300両を握り締め、お縫と七松のところにさっそく向かうと、これこれこういうわけだから、この300両を元手に商売をやれ、と縋るお縫と七松振り切って、男吉松、駆け出した。お前らと幸福に暮らしたら、お花に申し訳が立たないじゃないか。
それにつけても許せねぇのは立花金五郎。探し出して今度こそ本当に叩っ斬る。
風の噂に立花は、盗んだ加賀屋の身代で毎日吉原通いの大尽振りと聞きつけた。しかも最近のご執着は、新顔のお花だと言うではないか。
野郎、よりによって、お花に目をつけるとはますます許せん。祐天吉松、匕首呑んで吉原に続く柳の下で待ち受ける。
というところで、僕が持っている河内屋菊水丸のCD(Happy)に収録された祐天吉松は終る。この続きはどうなるんだろうか?
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