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日々の破片

著作一覧

2010-10-01

_ 句点と読点

字句とか語句とかメジャーな言葉が比較的細粒度なせいかも知れないが、たまに取り違えることがある。

そこで一句。

という単位のほうが本来普通だったのかもしれない。いずれにしても、句は文章構造を構成する要素の単位で、無修飾であれば文を示す。

ところが一見すると姿も名前も仲間に見えるが、読点は別物だ。

名前の通り、息継ぎ(ブレス)の位置を示す。

読点の一番の価値はそれにより、言文一致な文章を書くための目安となることだ。

もし声に出して読んでみて、自然とそこで息継ぎをしていたら、その文は正しい。

逆に言えば、読点を文章構造の構成要素のように扱う試みは、言文一致に反する愚行と言える。

かくしておれは、今日もまた、愚者の船に飛び乗って、言葉の海を、漂い続ける。


2010-10-02

_ アラベッラ

新国立劇場でアラベッラ。

リヒャルト・シュトラウスのオペラとしては影の無い女に続く第2弾ってことだが(ラインナップを見て、シュトラウス、モーツァルト、ヴァグナーを組み合わせて意味づけをしているのだな、と気づいた)、おれにとっては初見。

アラベッラはミヒャエルカウネという人で、1幕目では声はきれいだが小さいなぁと思ったが2幕目以降はそんなことはなく凛々としていて見事。初日なので最初はセーブしていたのかも知れない。1幕目の乗馬服のような姿で出てくるところも、2幕目で舞踏会の女王として振舞うのも良かった。3幕目のグラス(コップじゃないなぁ)を持って降りてくるところ。なるほど見せ場だな。

演技としては、それ以上にズデンカのラスムッセンの3幕目が良くて小柄なこともあるだろうが、しちゃった小娘感の表現が可哀想。オペラで歌の切なさで同情するというのはこれまでまったくなかったのだが、演技が付くと話が変わるのかも知れない。

マッテオは軽いかんじだが(シーンの長さもあるのだが)うんざり。うまく演じれば野暮ったくてうんざり、軽く演じれば野暮ったくはなくてもやっぱりうんざりという、多分、非常に損な役回りだとは思うが、そんな感じだ。

一方、マンドリカのマイヤーはカウフマンではないが好い男っぷりの歌手だなぁと歌も堂々たるものだし、衣装も演技も良かった。

歌としては、1幕の2重唱、1幕のマンドリカの伯父だったらこう考えるだろうからの歌、2幕の2重唱、3幕のズデンカが好きだな。全体にえらくわかりやすいので、影の無い女とかと比べると単調な気もするが、オーケストレーションは素晴らしいし、きれいなメロディーはきれいなメロディーだから、おれは好きだ。

が、この物語は一体なんなんだ? と不思議になる。

ドラマツルギーは良いから、そのせいで感動的な作品となっているのもわかるが、それにしても突っ込みどころが多すぎるような。

これが喜劇なのはセリフの数々(あと親父の動き。しかしドラマツルギーから親父ははみ出しているように感じて、マッツオともども損な役な気もする。歌手の妻屋という人はリングで巨人族をやっていた人だと思うが良い歌手だ)から明らかなのだが、たとえば牝熊に襲われて12週間寝込んでいたからどうしたとか、ユダヤ人に森を売って金を作ったから好きなだけ取れとか、金がなくて娘を二人育てるのは無理だから妹はこれからも男として育てて下男として使えるからラッキーとか、これっぽっちも笑えない。というよりも、笑わせるつもりがまったくない喜劇というか。

さらによくよく考えてみるとマンドリカの台詞は奇妙過ぎる。

妻とは2年間一緒に暮らした。

妻は神に召された。

手紙を読んでいると牝熊に襲われて血まみれになったので読めない。

私は若くて妻には悪いことをした。

というのを並べると、なんとなく数年前に病気で妻を亡くしたように思えるが、実際のところ妻はいつ死んだのか、死因はなんなのかはまったく語っていないではないか(字幕だから省略している可能性はもちろんあるのだが、ここではおれの知りうる範囲として字幕だけから考える)。

それに狩りに行くというのは知っていても、狩りの最中に手紙を読んでいるところを牝熊に襲われるというのも不自然だ。というか、牝というのをなぜ強調する? (henとcockみたいな言葉なのかも知れないけど、それは知らないので無視)

とすると、あり得るのは、若くて妻よりもっと美しい天使がいることに気づかず写真を見て後悔してたら、嫉妬した妻に襲われたので返り討ちにした、ということのような気がしてくる。何しろ単純な男だというのはその後の行動からもよくわかる。

こうもりといい、ウィーンのスラブ人というのはどうにも不思議な扱いだな。

そもそもズデンカの行動も異常だし(まあこれはミドルティーンで後先考えなくやってしまったとは言えるとしても)、ズデンコがズデンカだとまったく気づきもしないマッテオもおかしい。親父は妻と娘の男扱いを不快に思っているらしいが(コスプレごっこの罰が当たったんだバカめが、というような台詞がある)ではなぜ止めなかったのかとか。

曲は気に入ったので、もしかしたらこれでも買ってみようかな。カイルベルトだしフィッシャーディスカウだしウィーンだし。

R.シュトラウス:歌劇「アラベラ」 他 (3CD) (Strauss, Richard: Arabella)(STRAUSS, R.)

衣装は森英恵で、カーテンコールにも出てきていて、衣装の人がカーテンコールに出るのもこのくらいの有名人だとありなのかぁ、と思った。

演出はとても好き。元の舞台を20世紀に移しているのだが(ホテルの部屋にクリムトが飾ってあるのはうまいなぁと思った)、おかげで衣装が軽くなり、劇構造もクリアになっている。その分、マンドリカの田舎モノっぷりにちょっと無理がありそうな気もしないでもないが、元々台詞はおかしいのだからその点は問題なしというか、これから20年もするとドイツ第3帝国によってこなごなにされてしまう微妙な世界を感じさせて良い感じ。

これまで新国立劇場でオペラを見て、難解だったり不快だったりする演出にはあたったことは無いなぁと、その点に関しても良い劇場だなと思う。


2010-10-03

_ 熊川コッペリア

文化会館で熊川版コッペリア。Kバレエカンパニーの若手公演(という位置づけだと思う。スチュワートキャシディとか熊川哲也とかは出演しないので)。客席は1階はほぼ埋まっていたと思うけど2階以上は半分以下というところ。意外と空いていた。

フランツはロメオでマーキューシオを踊ってた人で、元気良く切れも良いから見ていて楽しい。全体、熊川版は演出も音楽の使い方もメリハリが利いているから楽しいのだった(博士がスワニルダの寸法を測るというのは全くもっておもしろい)。

coppelia(コッペリア) [DVD](熊川哲也)

演出はほぼDVD化されているものと同じだと思うが、子供によると博士がバケツで水(きらきらした銀紙)をかけるのは今回かららしい。僕が気付いたのは爆発の弱さとかくらいだ。というか、子供が良く観ているのには感心した。最初の博士の手押し車はDVD版では人形の部品を若者にいじられているけど今回のはそれは無しとか。

音楽は1幕の序曲の最初の金管のところはどうにも不安定だなぁと思ったが、弦が入ってテンポが上がると俄然調子が良くなって、演出にあった歯切れの良さ。3幕すらだれないのだから素晴らしい。

確か、熊川本人が出る日よりも値段も抑え目だったし、小学生くらいの子供を最初に連れて行くには、内容のおもしろさや観ての楽しさとか合わせて一番なんじゃないかなぁと思った。


2010-10-04

_ この文書はなんだ?

WIN32OLE_VARIABLEのうまい説明を調べていたら出てきた。

OLE Automation Protocol Specification

追記:matarilloさんから元文書ではないか?と教えてもらう。

何に驚いたって、2010(元のやつは2008年かな)でもOLE Automationのスペックがメンテされていることなのだった。

OLE Automation Programmer's Reference: Creating Programmable 32-Bit Applications (Microsoft)(Microsoft Press)


2010-10-05

_ バグ

WIN32OLE_TYPELIBを眺めていて、ふとWIN32OLE_TYPELIB.typelibsを実行してもADOのTYPELIBオブジェクトが生成されないことに気付いた。

レジストリには以下のように登録されている。

\HKLM\SOFTWARE\WOw6432Node\Classes\TypeLib\...\win32 REG_EXPAND_SZ %CommonProgramFiles%\System\ado\msado25.tlb]……

最初、Windows7のLoadTypeLibExのバグかと思ったが、ファイル名を与えるAPIだから、WIN32OLE_TYPELIBのバグだ。

っていうか、REG_EXPAND_SZってどうやって展開するんだっけなぁとか忘れている。

追記:展開するAPIって無いみたいだな。本当かなぁ。

ExpandEnvironmentStringsを独自に呼ぶのかな。本当にそんな面倒な仕組みだっけなぁ。


2010-10-06

_ ドサ回りのもの悲しさ

ドサ回りという言葉があって、あまり良い意味ではない。もとは島流しのことだったりするし、Wikipediaには情け容赦なく『表舞台で華々しく活躍する一線級の芸能人ではなく、二線級以下の人々の活動を示すことが多い。』とか書かれている。

ドサ回りというと、おれが最初に思い浮かべるのは、明日のジョーが力石を殺してしまったショックからテンプルを打てなくなって地方巡業をするところとかだ。矢吹丈は落ちぶれても矢吹丈だし、周りのボクサーもそれなりの連中ではあるのだが、どうにも運がなくて祭りの余興試合みたいなものをしている。

子供の頃に読んでなんか不思議な感動を覚えたし、今でもちゃんと覚えているのだが、梶原一騎は本人はほとんどヤクザのような男のようだが、変なところで弱者になってしまった人間に対して優しい視線を持っている(任侠ってのはそういうものだとも言えるし、もしかすると、このあたりのエピソードはちばてつやのものかも知れないけど。ちばてつやはまさにそういう作家だ)。このエピソードは結局、カーロス・リベラという猛烈に強い奴をテレビで見た矢吹丈が闘争心をかき立てられて東京に戻ることでけりがつくのだが、そのきっかけを与える男との妙な交流が良い味を出していた。最後に強烈なボディブローをかますわけだが。

あしたのジョー 全12巻セット (講談社漫画文庫)(高森 朝雄)

で、子供が行きたいとか言うのでブロードウェイ・ミュージカル・カンパニーとかいうのをオーチャードホールに観に行ったのだが、これがまさにそんな感じでどうにももの悲しい。

何しろなんだかよくわからない団体だからプログラムを買って出演者を見ると、基本的にはフランスの楽人で、はてこれはなんだろうかと思ったりするが、ボリス・ヴィアンの昔からフランスの楽人はスィングが得意だったりするから、それほど無理はないのだろう。全体、古い曲が多かった。

で、それでも金を取って興業を打つだけあって、それなりに芸達者で名場面集みたいな構成のショーを、まあうまくやっている(レミゼラブルとかは良かったと思うが、ドリームガールズの悪いことに手を染めようあたりはちょっともっさりしている)ので、普通に楽しめる。途中、おれの大好きな雨に唄えばのところではタップを踏みながら歌うところで、あーあ、無理しているなぁというのはあったけど、それにしてもどうにも空虚感が漂うのであった。一体、なんでそういう感じがするのだろうか? と考えてみても良くわからない。芸能というのは不思議なものだ。

1階席はほぼ満員で、やたらと年寄が多いなぁと思ったりしたが、それなりに客は入っていて、この人たちは何を見てここに来たのかなぁ、同じようにチラシを見て来たのかなぁとか、いろいろ思う。

(そもそもeplusでチケットを購入するときに、不可思議な売られ方をしていて引っ掛かったというのもあるのだが、eplusは微妙な商売の仕方をしている)


2010-10-08

_ 最後に一服

クリント・イーストウッドの映画は友人がすごいファンなのでつられて結構観た。観てないのも多いけど。

で、わりと封切りで観ることが多かったので、時代ごとに少しずつテーマが変質しているのだな、と気付く。観ているときは意識していなかったのだが、児玉さんが許されざる者のことを書いているのにつられて長文を書き込んでいるうちに明確化されたように思う。

最初に観たのは中学のときで、ドンシーゲルと組んでいたころだ。つまりはダーティーハリーだ。

(いや、マカロニウェスタンはテレビで観ていたから本当はそっちが先だ)

続 夕陽のガンマン [Blu-ray](クリント・イーストウッド)

ガンマンではなく、映画作家として意識的に観たのは、おそらくペイルライダーのころだと思う(荒野のストレンジャーはそれより前にテレビで観た記憶がある)。

ペイルライダー [DVD](クリント・イーストウッド)

これは最初良くわからなかった。敵は文句なく悪党で、主人公はおそらく悪党に殺された亡霊なのだが、最後の戦いに至るまでがやたらとのんびりと西部の日常が描かれているからだ。山の上のほうから白灰まだらの馬に乗っているシーンや敵の親玉の黒くて威風堂々たる姿とかは鮮明だが、どうにもしまらないというか間延びしているように感じたからだ。

その後、ハワードホークス(リオブラボーとか)とかヘンリーフォード(捜索者とか)とかの西部劇を観て、ああ、そういうテンポが西部劇なのか、と納得した記憶がある。

で、ハートブレークリッジ。

ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場 [DVD](クリント・イーストウッド)

これも、後から栄光何するものぞのような代表的な戦争映画を観てえらく納得するのだが、そうでなくても単純におもしろい映画だ。が、この主人公はやはり過去をひきずっていて(離婚しているだか、何か、家庭に問題を抱えているような覚えがある)、それはそれとして新兵を鍛えて、グレナダで勝利する(朝鮮で引き分け、ベトナムで負けて、やっと勝った、と語られる)。電話をかけるところのギャグとか結構笑ったような記憶があるし、これはおもしろかったな。

それからバードだと思う。

バード [DVD](フォレスト・ウィテカー)

チャーリーパーカーが若いころに食らったパーカッショニストからのブーイングがフラッシュバックで入り、(ペイルライダーや荒野のストレンジャーの鞭打ちのシーンとかを観ていたから)、ああ、こうやって過去の忌まわしい記憶に苦しみながら人生と戦う男というのを、この作家は書きたいんだなと納得したのだった。

というわけで、クリント・イーストウッドというのは、そういう過去と戦う人生を描く作家と位置付けることにしたのだった。

が、そこでホワイトハンターブラックハートを観て、はてなんだこりゃ? と疑問に感じてくる。

ホワイトハンター ブラックハート [DVD](クリント・イーストウッド)

映像はばっちり、ドラマは緊張していて弛緩なく、しかし内容はどう考えても空っぽ、単にアメリカ人がアフリカに来て、わがままし放題で、最後は象を撃ち殺すというだけの映画だ。(いや、何かとは戦っているんだけど、それにしてもなんじゃこりゃ)

が、映画としてのおもしろさが、退屈することの無さだとすれば、これはそれまで観た中で最もおもしろいクリント・イーストウッドだった。

一体、このおっさんはどういう映画作家なんだ? と当然疑問を持つ。

で、ルーキーだ。

ルーキー [DVD](クリント・イーストウッド)

チャーリーシーンがルーキーで、イーストウッドがベテランという刑事コンビの多少のお笑いありのアクション映画で、普通におもしろい。

はて、おもしろい映画作家だったのだろうか? と、ここまででまったく脈絡がない(西部劇、戦争映画、ジャズミュージシャンの伝記、わけのわからない文芸作品?、刑事アクション)。ようするに、(とこの時点で結論する)、このおっさんはプロフェッショナルの映画監督&俳優なのだな。

ところが、そこに許されざる者が来る。

許されざる者 [DVD](クリント・イーストウッド)

えーと、ペイルライダーとは違って、過去の復讐でもないし(友達の賭博師の復讐のような、女たちからの金目当てのような)、敵も悪党じゃないし、伝統的な西部劇っぽいのんびりムードのかけらもない(ルーキーでそういう練習をしたのかも)。しかも、謎めき系だが過去は語られているし(ペイルライダーや荒野のストレンジャーでは謎めき系のフラッシュバックがあるだけだ)、実にストレートにわかりやすい。だが本人が元々悪党だとか、いろいろ陰がある。

結局内容的にはルーキーのような単純な善対悪のような話ではない(ホワイトハンターの文芸路線に近いか)が、映画としてはルーキーのようなストレートな物語で、最初の「過去と戦う男」の物語が明快さを伴って復活したかのようだ。

かくして、おそらくこの作品はここまでの総決算的な意味合いを持ち、事実傑作だと思う。

ここからは素晴らしかった。

おれの大好きなパーフェクトワールドが次に来る。

パーフェクト ワールド [DVD](クリント・イーストウッド)

こんなに印象的な作品はない。1940~1950年代のギャング映画のように、過去の罪業を背負う男が最後に世間的には破滅、自分的には救済される物語だ。

それから、ここで初めて本格的に子供が出てくる。あまり良い生活をしていない子供を、過去に呪われている男が、行きがかり上、助けてしまうという物語とも言える。俳優イーストウッドはここでは間抜けな敵役(でも極悪な正義ではない)としてドタバタ役を引き受ける。作家イーストウッドはささやかな幸せな光景や姿の見えない恐怖や、開放的な風景を自由に組み合わせてパーフェクトワールドを形作る。草原に肘枕

この後、爆発的にヒットしたマディソン郡の橋が来るが未見。しばらく観なくて、久々に観たのがスペースカウボーイ。

スペース カウボーイ 特別版 [DVD](クリント・イーストウッド)

おれは好きだが、これも、過去に因縁を持って(つまり宇宙飛行ができなかった)男たちが(ある意味)戦う物語だ。おれは、これも好きだな。一見するとのんきな話だが、実は3種類の死神がうろうろしている物語でもあった。加齢と、事故と、宇宙空間だ。が、それを感じさせないのは、なんか一皮さらに剥けましたな、という感じでペイルライダーからは15年もたっているのだから、それはそうだろう。つまり、このじいさん(この時点で70歳だからすでにおっさんとは言えない)は、まだ作家として変化し続けているのだ。

で、ミスティックリバーもミリオンダラーベイビーも見逃してしまったが、途中、ブラッドワークは観た。

ブラッド・ワーク [DVD](クリント・イーストウッド)

なんだこれ? うまい映画作家がちょっとおっかない犯罪スリラーを作りましたよ、という感じかな。おもしろかったが、あまり印象がないなぁ(グラントリノのラストのドライブの光景で水が映るが、同じようにヨットハーバーで海が映っていてそれがきれいだったという印象はあるけど)

で、チェンジリングとグラントリノには間に合った。

グラン・トリノ [DVD](クリント・イーストウッド)

チェンジリングは映画作家としてはもうこれ以上はないほどの腕前となっていて(農場でのホラー映画のパロディのうまさ、子役のキャスティングの妙味(実際の世界ではもっと本当に似ている子供が連れてこられたのだと思う))まあ、どう観てもおもしろいのだが、それよりもグラントリノだ。

というのは、この作品のテーマは、ペールライダー、許されざる者の系譜だからだ。流れ者ではなくその町の住民だというのはあるが、床屋でのまったり会話とかの日常の描かれ方、どうもあまりよろしくない過去(朝鮮戦争という公の過去と、嫌な夫&父親という私の過去のダブルパンチ)とそれと明らかに示されない後悔(あるいはグラントリノに対する愛着のような過去に対するこだわり)を持つ男がたった一人で敵と戦う(許されざる者のようにひねった敵ではなく、ふつうに悪党だ)。

あと一点重要な違いがある。ラストに世代交代が(ルーキーってのはあったけど)描かれている点だ。

というわけで、なんでも器用に撮れるが、基本的には過去と戦いながら目前の敵と戦うことでその過去に対する落とし前をつける男の物語を撮り続け、テーマは変わらないが、人生観という結論は変わり続ける映画作家、それがクリント・イーストウッド。

おれは思うのだが、誰でも後悔していることの1つは2つはあるのだから、イーストウッドのテーマの「過去に対する落とし前を目の前の敵を叩きのめすことでつける」というのは、本来、すごくカタルシスをもたらすもののはずだ。ところがペイルライダーではその過去をほとんど語らない、許されざる者では叩きのめす対象が微妙な存在、パーフェクトワールドではああやはりそうなっちゃうのかという無力感とか、観ている側の心理的な葛藤を解放させないことで印象付けるような作り方をしていることが特徴だと思う。おそらくめでたしめでたしな作り方をしても、ワイルドバンチみたいなど派手な玉砕をしても、いずれも専業作家の巨匠たちが作った作品の中途半端な模倣と受け取られるだろう(何しろ出身がウェスタンの俳優というのは経歴について回るのだから観る側の色眼鏡がある以上しょうがない)から、そういうストレートな作品を作るのを避けてきたのだと思う。

グラントリノが見事なのは、舞台を現代に持ってくることで(そして本人がじいさんになってしまったことで)、西部劇風な落とし前のつけかたを自然に封じ込んで、きれいに片を付けたことだ。

という思い入れを持って眺めると、それぞれの作品がそれぞれに素晴らしいが、特にグラントリノは素晴らしい。

というわけで、ミスティックリバーやミリオンダラーベイビーを観ることは楽しみに取っておく。


2010-10-09

_ ローカルホストのキャプチャ

Fiddler2は便利だが、そのままだとローカルホスト内でのリクエスト/レスポンスは見られない。

で、どうすれば良いかわからないのであきらめていたのだが、というのはUNIXドメインとTCP/IPみたいな差があって、ローカルホストが相手の場合はUNIXドメイン(のWindows版)を使うからしょうがないのだろうと思っていた。

が、Tip for using Fiddler on localhostというのを見つけた。

なんと、http://localhost:8080/foo/bar であれば、http://localhost.:8080//foo/barのように、「.]をホスト名の末尾につけるのだという。

とりあえずやってみたら、確かにちゃんとキャプチャされる。

それとは別に上のサイトからFiddlerのFAQも出ている(が、こちらはいささか面倒だ。PCのホスト名を指定するというのはいやだな)。

で、この「localhost.」という気持ちの悪い指定方法ってどれだけ汎用的なのだろうかと手元のUbuntuでFirefoxに対して入れてみるとちゃんと使える(が、レスポンスを受けるとアドレスバーの内容はlocalhostに戻されるが)。

これはなんなんだろう?

_ jQuery + IE

jQueryでAjaxするプログラムを遊びで作っているのだが、IEを使っていたら、どうにも途中から動かなくなって困った。

で、ずーっと悩んでいたが、やっと解決した。

というか、Fiddler2で眺めているとリクエストが出ないことはわかっていたのだが、何か使い方がまずくて途中で死んでいるのだと思っていた。

$(document).ready(function() {
  $.ajaxSetup({cache: false});
}

IEは積極的にキャッシュしまくるので、getを使うときは最初にajaxSetupしておくこと。(静的なコンテンツについては304を返させればよいのだからサーバへネゴシエーションすることはむしろ良いことだ。ラウンドトリップが気にならない場合は)

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_ tnk [「FQDNにはja.wikipedia.org.のように最後にルートを示すドットを付与しなければならない」とする流儀..]

_ arton [おお、どうもありがとうございます。するとFQDN扱いになるので、プロクシにリクエストを送るということみたいですね。と..]


2010-10-10

_ フィガロの結婚

新国立劇場でフィガロの結婚。

以前CDかLPで聴いたときは、モーツァルトっぽい退屈な音楽だと思ったが、劇場で観るとえらくおもしろかった。というか、序曲が始まるだけでうっきうっきしてくるのは不思議なものだ。劇場の音楽ってやつかも。

演出はシンプルな白い箱の中に白い箱(London行きとか書いてあるのは物語に符号する)が積み重なっていて、後から運び込まれる箪笥を除けば、それが机になったりいろいろ利用される(ケルビーノが最初に隠れるのも箱)。2幕の終わりと4幕かな(伯爵が壁をどんと叩くところだと思ったが)で壁がすこしずれて床がななめになる演出が妙だ。伯爵の主観世界なのかなぁ。

歌手は特にケルビーノが良かった(恋とはどんなものかしらのテンポの取り方がちょっと引っ掛かりがあって良い意味で印象的だ)。が、フィガロもシュザンヌも芸達者で楽しい。伯爵夫人はきれいな声だが(おそらく曲が好きではないので)退屈した。

ボーマルシェの原作にはあるのにモーツァルトにはなくて残念なのが、シュゾンゾンゾンの歌と、バルチェッロのこんな変なやつが息子だなんでごめんこうむるのあたりだけど、まあどうでもいいや。


2010-10-11

_ ruined

github インストールは、gem install ruined
本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ Ruby Learner [ruby 1.9.2p0 (2010-08-18 revision 29036) [i386-mswin32] で起..]

_ arton [VirtualStoreのほうにgemがインストールされている可能性はありませんか? たとえば、もしお使いの1.9...]

_ arton [VirtualStoreは、c:\users\ユーザ名\AppData\Local\VirtualStoreというデ..]


2010-10-13

_ ウィキッド

子供がおもしろいから読めというので、読んだ。これはすごい作品だな。

ウィキッド(上)(グレゴリー・マグワイア)

前書きでは、さっそうと箒にまたがって、黄色いレンガの道を歩いているドロシー達の会話を聞いてふふんと鼻で笑ういかした西の魔女として登場するが、本文になるとがらりと変わる。

狂信的な牧師の親父と昼間から麻薬でぽわわん状態の母親(ということは最初はわかりにくい)に、娘が生まれる。生まれるのだが、父親はドラゴン時計という快楽主義者のからくり仕掛けと戦う必要があり村へ出かけていかなければならない。いっぽう、生まれた子供、エルファバという古き良き聖女を元に名付けられるのだが、肌が緑で、鱶より怖い歯が生えている。産婆さんは指を食いちぎられてしまう。その頃、ドラゴン時計のお告げで村人は牧師の親父をリンチにかける。

と、物騒に物語が始まるのであった。

ミュージカルの大筋は子供から聞いていたので(CDをしょっちゅう聴かされたからだ)、グリンダがメジャーにしてあげるわよとか歌ったり、広告通りの友情物語らしいのだが、原作は全然異なる。

ミュージカルの作者たちは、オズという(歴史的にも)ミュージカル的な題材とか、グリンダの性格のおもしろさとか、そのあたりからウィキッドに目を付けて、原作の持つ嫌なところをすべて取っ払ってどうでも良いハッピーなお話にしてしまったのだろう。その原作として紹介されると誰にとってもそれほど幸せなことではない。

これは、非常に優れたYAジャンルのファンタジーだしビルディングロマン(ビルドゥングスロマンと書くべきかなぁ)だった。

上巻は、前半が子供時代の両親とそこに同居することになる顔はイケメン、手足は肥大(たぶん蛙を意識している)した男と、とても育てるのが難しいので呼び寄せた乳母、野蛮な村人たちの生活を描く。

描写はきわめてうまい。会話をうまく使うことで直截的な暴力はそれほどは描かない(が、父親がリンチにあうシーンはしっかりと描写しているので、つまりはメリハリをえらくつけている)。表現がうまいなぁと思ったのは、同年代の子供とつきあわせることで肌が緑というのはどういう不快な目にあうのかを学ばせようと、乳母が近くの家にエルファバを連れて行って遊ばせるところだ。ばあさん同志の呑気な会話の向こうで殴る蹴る石をぶつけるぐさぐさ噛みつきまくる凄惨で血みどろの子供同士の喧嘩が進行しているところだ。

その後に、実に楽しい大学生活が始まる。最近読んだ本だともやしもんに近い気がする。ようするに、若気の至りのような連中の楽しい大学生生活というやつが、雰囲気良く描かれているからだ。ミュージカルがこのあたりを中心に再構成したのも当然だな。

にもかかわらず、主人公の内向性と攻撃性のせいで、かならずしも楽しい話とはならない。

また、同時進行している外界の動きの描写もあって、話は常に、え、そっちへ進むのかと、悪いほう、悪いほうへと転がっていく。実におもしろくて、途中でやめるのが惜しい感じの物語を久々に楽しんだ。少しも楽しくないけどな。

最終的にエルファバはブランキ主義(と思われる)の団体に入って活動することになる。常に意外な行動に進むのであった。

それにしても熊の子がかわいそう過ぎる。

そして下巻になだれこむ。

ウィキッド(下)(グレゴリー・マグワイア)

表紙がグリンダだが、グリンダはもうほとんど関係ない。(ドロシーに妹の東の魔女の靴を与えるという妙な役回りで登場するが、そのせいで物別れとなる)

西の国の荒涼たる山城で物語は常に良くない方向へ進む。きっと良くないことが起きるのだろうなぁ、とここまで読み進めているので予想しながら読むのだが、えーそうなるのかぁともっと悪い方向へ話が進む。というか、エルファバの選択がまた実によろしくない(結果となる)。

取り上げられているテーマは異様にヘヴィーだ。

人種問題、ジェンダー、政治と学問、産業構造、絶対権力と対抗するためのテロリズム、科学と自由、平等と学問、宗教、伝統と革新、セックス、支配と被支配、無知と知識、早い話がハリーポッターが避けて通るような内容ばかりだ。当たり前だが、すべて、結論が出る問題ではない。したがって、人間にできることは自分の生を生きて、死ぬだけだ。だからYAターゲットということだと思うのだが。

たとえば、<動物>(意志の伝達手段を持つ)と動物と人間の差とは何か? もし、生まれたてで言葉をまだ話せなければ<動物>と動物に違いはない。したがって、<動物>として扱う必要はないのではないか? という命題。

それに対して山羊先生が途中まで研究していたテーマ(論文を仕上げる前に暗殺されてしまうのだが)の構成している物質(つまりは細胞のことだと思うのだが)が等しい生物を別のものとして扱うのは正しいか否か。

グリンダは、おしゃれが好きで自分のことが大好きなおちゃっぴーな女の子だが、エルファバとつきあうことで自分で考えるということに意識的になる。ボックという(この男は基本的に良い役回りで、学んだ農学のおかげでそれなりに暮らすことになる)本来良い男だが、そのボックが考える仲間としてのエルファバやグリンダと、恋愛の対象としてグリンダ(ガリンダという名前なのだが)を自然と分けているとか、それぞれの登場人物ごとに階級、人種、思想、生活観、政治的立場といった細かなパラメータをうまく使い分けている。そのせいで、物語のリアリティは相当高く、しかもあまりにも残虐な現実描写を表現のうまさで避けて(しかし直截的な描写はなくても、というかむしろ無いせいで実に印象的になる)、そのあたりの構成力はなんというか、アメリカのプロの作家の作品だなぁ、と感心した。


2010-10-14

_ 悪との闘い

未知の作家だが生来のロシア文学好きなので買ってストックしておいたガルシンの紅い花をちょっと前に読了したので記録。

紅い花 他四篇 (岩波文庫)(ガルシン)

表紙には精神病院で悪との闘いにどうしたとか買いてあるので、帝政ロシアの政治犯が精神病院に入れられて……というのを想像していたら全然違った。

文字通り、庭に咲く紅い花と闘い、最後には勝利するものの衰弱死する正義の人の物語だった。まあ、傑作かなぁ、歴史的には。

それよりも、リアリスティックな、クリミア戦争で脚を負傷して身動きが取れないのに、トルコ兵の死骸と向き合う状態で置き去りにされた兵士の心の動きを描いた作品(『四日間』)が、見事だった。最初は単なる撃ち殺す対象だったものが、死人という認識に変わり、一種の同僚という考えに変わり、というような当たり前なヒューマニスティックドラマとは異なるのは、切迫感の描写がすぐれているからだろう。何かのはずみで映像的に思い出すようなタイプのすごい作品だった。

ところが、読み進めると、さらにそれよりも、鉄道の番小屋の忘れられた人達を描いた作品(信号)が鮮烈で、映画的作品という言葉がこれほど当てはまる作家はそうはいない。折々の自然の移り変わりはヴィクトルエリセのようであるし、心象風景と実際の風景の一致のさせかたや、細かな生活感の描写はフドイナザーロフのようだし、列車が近づいてくるところのリアリティはゲルマンのようだ。恐るべき作品である。

で、さらに読み進めるとアッタレーア・プリンケプスという寓話になるのだが、これもまた心理描写のうまさと、荒涼たる外の世界と平穏たる(そこへ住む人というか植物たちは違うわけだが)内の世界の対比の的確さに讃嘆する。

なぜこれ程の作家(リアルな質感を持つ世界を美しい言葉の連なりで構築する才能がある人)が紅い花と闘わなきゃならないんだ?(寓話の切れの良さがあるわけでもなく、象徴主義や耽美主義としてはそれ程できが良い訳ではない。が、異常な迫力があるのでますます不思議になる)と疑問に思う訳だが、訳者の解説を読むと、ガルシン本人が統合失調したからのようだ。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ arton [その話ははいってないみたいだけど、なんてやつですか? 相当読みたい。]

_ ksaito [あれれ、勘違いかな。題名が出て来ないんですが、駅について波止場に行ったら旧友と偶然会って、家に行って...って話なん..]

_ arton [ううむ、おもしろそうだ。モーパッサンあたりにもありそうだけど、全然違うんだろうなぁ。]


2010-10-15

_ 東京オペラ

こないだロイヤルオペラ観にNHKホールに行ったら、すさまじい人の波でホールから出られずに驚いた。

出入り口の作り方が悪いのかなぁとか思ったが、ずいぶんと広いエントランスだからそれはないだろう。

というわけで、気になって良く行くホールを調べてみたら、結構、おもしろかった。

NHKホールは客席数が3601。

東京文化会館は客席数が2303。

新国立劇場は客席数が1814。

ゆうぽうとは客席数が1803。

NHKホールは群を抜いてたくさん入るんだというか、オペラパレス2つ分だよ。

NHKホールで全部で10日間、平均入場料50000円で公演をうつとどうなるだろうか。50000×3601×10で、18億円。オーケストラとコーラス、舞台回り、衣装係とかのスタッフが総勢300人としてミソもくそも一緒で日当10000円に宿泊費として東京だから15000円出すとして10日間(ということは3週間として実質20日間で)の人件費が9千万円。その他、飛行機代と荷物の倉庫を借りるとかで300人の飛行機代を値切って10万円として3千万円と倉庫とホールで良くわからないから適当に200万円×10+100万円×20として4千万円くらいで、合計7千万。結局スタッフが300人だと1億6千万円。指揮者とスターを6人として、いくら払うものかわからないが、ホテルや飛行機だってクラスが別のはずだから、日当を100万円でホテルは1泊20万と見て(でも拘束料は払わないとして)(1千万円+400万円)×6で84百万円で、ここまで合わせて2億5千万円が経費。すると差引15億円強が入ってくる(当然、そこから社員に払ったり関係者に払ったりPR売ったりして経費が出ていく)。

これが、ゆうぽうとだと、同じ入場料50000円でも50000×1803×10で、9億円から2億5千万(ホールの費用は違うが、なんか誤差のような気がする)を引くので6億5千万が入る。ということは出が変わらないのだからホールのキャパが大きければ大きいほど利益も良くなるわけだなぁ。

(すでに出来上がった連中と演目を連れて来れば、大ざっぱな計算では利益は出そうだが、演出から舞台装置作って、リハーサルしまくって新人を養成してそのための場を用意して……とやるとあっというまに足が出るのもわかるような気がする。ってことは、生でやっても複製芸術のおいしさというのはあるのだな。とかにも気づいてしまった)


2010-10-16

_ LPとLLP

教わったのでメモ。

Wikipediaの64ビットがまとまっている。

Linuxは、LP64。LPというのは、LongとPointerが64ビットという意味。

一方、Win64はLLP64。LLPというのは、Long longとPointerが64ビットという意味(Longは32ビット)。

そこで、Linuxであれば、sizeof(long) == sizeof(void*)なのでいい加減なキャストでも問題ないが、Win64だとsizeof(long) < sizeof(void*)なのでいい加減なキャストだと問題がおきる。

ここでのいい加減なキャストというのは、32ビットを前提とした

void foo(long l) {

strcpy((void*)l, "foobar");

}

みたいなもの。


2010-10-17

_ 谷桃子バレエ団のレミゼラブル

五反田のゆうぽうとで谷桃子バレエ団のレミゼラブル。

構成は、ほとんどミュージカルと同じ。

ただし、音楽はいろいろ。わかったのはバルトークの(多分)弦打チェと、スメタナのモルダウ河(のボーカルバージョン)。

ストーリーを舞踏で表現するモダンバレエ(トウシューズ履かないという意味で)ということになるのかな。

こういうのは初めて観る(ローラン・プティとかはこのタイプになるのだろうか)のだが、おもしろかった。人間の表現力というのはすごいものだな。

どうも、おれは牧師のエピソードが好きらしい。あるいは好きになったらしい。官警に連れられて来たジャンバルジャンにかえって銀の燭台を与えるところは思わず感動した。

革命家たちが、特にエポニーヌが服装のせいか、振り付けのせいか、どうにもフランス革命後の時期というよりも、文化大革命のころみたいで違和感はありまくり。挙げたほうの手に赤い小冊子を思わず持たせたくなった。多分、白毛女の舞台写真なんかで見慣れた感じがするからのようだ。(プログラムに「戦死」と書いてあってものすごい違和感をもったのだが、というのは、市民が戦争にまきこまれて死ぬことは戦死とはどうにも言い難い気がするからだが、ここでは銃を手にして戦っていたから、まったく文字通りに戦死なのだった)

最後に谷桃子本人が舞台挨拶に出てきて、創立60年というからには、仮に20台で旗揚げしたとしても80はゆうに越えているわけで、驚いた。日劇で白鳥の湖を観て感動してバレエを志したというが、今から60年前が1950年で、その頃に旗揚げできたということは、戦前の話なのか(ならば90は越えている勘定だが、そうなのかも知れない)、それとも戦後すぐに観てあれよあれよと旗揚げしたのかそこはわからないが、ろくに資料もなくて手さぐり状態でどうしたとか言っていたのはその通りなのだろう。

突然、以前何かで読んだ代々木上原の界隈のバレエ教室の話とかを思い出したが、それとは関係なく、大変なご苦労をしてきたのは間違いないだろうなぁ。と、思わず畏敬の念を持つ。


2010-10-19

_ 匿名(ちょっと意地っぱり)デリゲートとラムダ式

ちょっと.NET WindowFormsアプリケーションを作っている。

そこで、イベント処理を書くわけだが、当然のように次のようにやる。

ctrl.AddEventHandler(delegate (object o, EventArgs e) { ... });

それから、今はdelegateなんて余分なキーワードはいらないんだなと思い出して

ctrl.AddEventHandler((o, e) => ....);

と、書く。

が、これはまずかった。

実際にはイベントによって次のハンドラに替えていくプログラムである。

void InitState() {
     ctrl.AddEventHandler((o, e) => FooState());
}
void FooState() {
     ctrl.AddEventHandler((o, e) => BarState());
}
...

動かせば動かすほど、どんどん遅くなる。はて、なぜだ?

しばらくソースを見て、ふと気づく。ハンドラはAddしているが、Removeしていないじゃん。同じイベントハンドラが何度も呼ばれているからだ。最後に呼ばれるのが最後にAddしたやつだから見かけはうまく動いているだけだ。

そこでラムダ(匿名デリゲートでも同じだが)の恐怖を知る。

まっとうにRemoveを考えてみる。

void InitState() {
     EventHandler hnd = (o, e) => {
         ctrl.RemoveEventHandler(hnd);
         FooState();
     };
     ctrl.AddEventHandler(hnd);
}

コンパイルできない。あれ、クロージャなんじゃなかったっけ? と一瞬とまどうが、定義中では変数hndの内容は未確定だ。……なんかだまされたような気がするが(時間軸上、必ず後になるはずだが、動的言語じゃないからそうはいかないのだろう)、しょうがない。(追記あり)

では、どう書けば良いのか?

void FooState() {
     ctrl.RemoveEventHandler((o, e) => FooState());
     ctrl.AddEventHandler((o, e) => BarState());
}

コンパイルエラーにはならない……が、別インスタンスだよなぁ、そりゃ。

そのうち最適化がガリガリになされて、レキシカルスコープを持たない(という言い方であってるのかな? 独自の変数用のフレームを持たない)ラムダ式は同一インスタンスが割り当てられるようになるかも知れないけど、とにかくだめだし、そもそも、こんな冗長な書き方はごめんだ。

ということは、

void FooState(object o, EventArgs e)
{
    ctrl.RemoveEventHandler(new EventHandler(FooState));
    ctrl.AddEventHandler(new EventHandler(BarState));
}

うまく動く(newして別インスタンスを作ってはいるが、Equalsは中のポインタを見て等価性を判定しているのだろう)。

というわけで、結局、昔ながらの書き方に落ち着いてしまうのであった。

残念だよ。

追記:

つい、Javaのインナークラスの癖で考えてた。次のように書けばOKだ。

void InitState() {
     EventHandler hnd = null;
     hnd = (o, e) => {
         ctrl.RemoveEventHandler(hnd);
         FooState();
     };
     ctrl.AddEventHandler(hnd);
}

が、これまた冗長だなぁ。設定と実行すべき処理の位置が一致しているのは良いけど、残念感はぬぐえない。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ arton [あ、どうもありがとうございます。実は、落ち着いて考えたら同じ結論で、追記してから気づきました。]

_ matarillo [ctrl.AddEventHandler(hnd = (o, e) => {}); みたいに書けなくもないですが、確..]

_ arton [おお、その書き方は知りませんでした。どうもです。]


2010-10-20

_ Timerとイベント

次のプログラムはうまく動くのだが、どういう仕組みなんだろうか?

void Foo()
{
    Timer t0 = new Timer();
    var t1 = new Timer();
    t0.Interval = 10000;
    t0.Tick += (o, ex) => {MessageBox.Show("hello"); t0.Stop();};
    t1.Interval = 3000;
    t1.Tick += (o, ex) => { System.GC.Collect(); t1.Stop(); };
    t0.Start();
    t1.Start();
}

t0もt1もどちらもスタック上に確保したオブジェクトだから、メソッドを抜ければそこについての参照は消えてなくなる。

Tickへ与えたイベントハンドラはt0が10秒後、t1が3秒後に起動される。

t1は、その時点で全ジェネレーションの未参照オブジェクトを回収するはず。

とすれば、t0は回収されてしまい、したがって10秒後(t1実行後の7秒後)には何も起きないのではないか?

が、helloというメッセージボックスはポップアップする。

ということは、Timerオブジェクトはイベントを登録すると、オブジェクト内部のリソースで管理するのではなく、外部の何かを利用して管理している=参照を持たれる、ということのようだ。

あるいは、Tickへ与えたクロージャ内で参照しているから? でももしそうならば、循環参照となり、永遠に廃棄されないことになる(クロージャをTickイベントによって参照しているから)。

ということは、Timer#Disposeを明示的に呼ばなければ、Timerのインスタンスは廃棄されないということかな? (一度でもStopを呼べば廃棄可能かも知れないけど、本当にそうなのかな?)

何が知りたいかと言えば、もし、そういうものならば、Timerのインスタンスってインスタンス変数に格納しておく意味はまったく無いということになるわけだが、本当にそうなのかなぁ? ということ(もちろん、StopしたりStartしたりするのなら、インスタンス変数に入れておいた方が操作しやすいから良いわけだが、投げっぱなし系の一度だけタイマーについてばんばん使うとどんどん回収不能なゴミになるといやだなぁということなのだった。Stop呼べば回収可能となって回収されるなら良いが確認できない。というのは、参照なしだと一度Stop呼ぶともうStartは呼べないから調べる手段がないからだ。オブジェクトスペースのダンプを見るとかかな?)。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ ishisaka [基本的にSystem.Timers.Timerであれば明示的に止める必要があるし、明示的にDisposeを呼ぶ必要も..]

_ ishisaka [もう少し書くとラムダ式で書かれたメソッドは実際にはコンパイル時に別のメソッドとして実装され、delegate経由でそ..]

_ arton [>(つまりスコープを外れたからと言ってラムダ式の内容がスタックからいなくなるわけではないはずです。 これはそうだと思..]


2010-10-21

_ スレートPC

良くもまあ、これくらいコンシューマアピールのかけらもない通称を採用したと思うけど、機会があったのでスレートPCをちょっと触ってみた。

オンキョーのTW317A5とかいうやつ。

ONKYO TW317A5 TWシリーズ パーソナルモバイル(-)

名前から言ってもコンシューマを向いていないのは明らかだが、端末としてみると、直接の競合となるiPadよりはいろいろ有利なのも確かだ。

たとえば、普通のUSBポートが2つ出ている。

というか、OSそのものはWindows7だから、USBメモリにプログラムを入れて挿してインストーラを起動とか普通にできる。

というわけで、業務に利用するという面だけ取り上げれば、こっちのほうがシステム設計そのものは楽だろうなぁ。

それ以外についてはどうだろうか。

重みは結構あって1Kgとか。iPadが700gくらいだが、結構差があるなぁというのが、実際に片手で持った時の印象だ。

それから遅い。アクロバットリーダを動かしていたが、あまり良い反応ではなかった。搭載メモリが標準で1GBというのがきいているのか、アトムはアトムということか、そのへんはわからないけど。

それから、向きを縦にしたり横にしたりしたときの反応が鈍い。何か事情があるのだろうが、向きを切り替える(再描画する)前に画面が真っ黒になって数秒間黙り込むのだが、iPadを使い慣れた身からすると、ハングアップとしか思えず(というか、自分の感覚からはちょっとあり得ない反応を機械がしているわけで)最初はびびった。

ただ、つくづく思うのは、今頃になってこの価格なのかぁという感慨だ。

もしタブレットPCが……と騒いでいた数年前にこの価格だったら、まあ地図は全然違ったものとなっていただろうな。

結局、iPadがあの価格で出してきた(PCメーカの下地としてはNetBookがあるのかも知れない)ために、こういう価格設定となり、これならそれなりに受け入れられるかもなぁというところかな。

というわけで、価格が手頃なので

ONKYO TW117A4 TWシリーズ パーソナルモバイル(-)

最初こちらを購入しようかなぁと思ったのだが、ちょっと317の動きを見て(しかも同じ日にたまたまAirの新しいのが発表されたわけだし)保留かなぁと思った。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ Kazzz [iPadと比較するのであればwinではなくandroid機、具体的にはGalaxyTab等を触ってみては。(お嫌でな..]

_ arton [イヤってことはないですが、コンシューマに圧倒的知名度があるのと、ベンダとして圧倒的にソフト資産があるのとを、比較する..]

_ Kazzz [全体的な操作の軽さや、縦横切替えにかかる時間とか、使い勝手を気に しているのだと勝手に空読みしていました。 iP..]


2010-10-22

_ System.Threading.Timer

.NETにはTimerクラスが3つあって、WinForm用のはどうもいまいち様子がわからない。

System.Timers.Timerについては、石塚さんが言及されている。

最後のSystem.Threading.Timerは、matarilloさんによればGCされてしまうとMSDNに明記されているとのことだ。確かにそうだ。

Timer を使用している間は、このクラスへの参照を保持しておく必要があります。他のマネージ オブジェクトと同様、まったく参照されていない場合、Timer はガベージ コレクションの対象となります。Timer がアクティブであっても、ガベージ コレクションの対象から除外されることはありません。

というわけでおもしろそうなのでSystem.Threading.Timerを試した。

var timer = new System.Threading.Timer((o) => MessageBox.Show("timer"), null, 10000, 5000);
var timer2 = new System.Threading.Timer((o) => System.GC.Collect(), null, 8000, System.Threading.Timeout.Infinite);

期待通りにメッセージボックスは表示されない。あるいは、timer2を10秒以上に取れば、2回目以降、20秒以上に取れば3回目以降は表示されなくなる。

ということは、System.Threading。Timerは、上記のような使い方、つまり自動変数として定義して放り投げるのは、だめだということだ(が、後始末は不要なので、便利は便利。とは言え、イベントを出さずに消えてなくなるのはいやだな)。

まあ、WindowsFormで利用する場合は、スレッド間マーシャリングを考えなくても良いので、Timerをインスタンス変数に持って使うのが良いだろう(というか、保持しておかなければDisposeできない。アプリケーションと同じ寿命を持つことが前提ならば後始末を考えなくても良いので自動変数のほうが余分なインスタンス変数名を定義する必要がないので良いかも。


2010-10-23

_ dismiss infoseek

今でも参照している人がいるか果てしなく疑問だが、というのは最後の更新が2006年だからだけど、GeocitiesのCOM Meets Rubyのリンク先をinfoseekからRuby MSI配布ページへ変更。

あとはGCされるのを待つだけ。多分。

それにしても、久々にgeocitiesのページを眺めると、ruby 1.4用とか、いやそもそもwin32版rubyのdll名がrubymw.dllだったり、遥か昔のものが残っていて妙な感じだ。おそらく、1.4用をダウンロードして、拡張子をbinからmsiに変えれば(Geocitiesには配置したファイルの拡張子制限があったのがinfoseekへ移動した理由なのだが)2001年の香りが漂うRub-1.4の処理系が動くということですなぁ。おそろしくメソッドが少なくてびっくりすること請け合いだと思う。


2010-10-24

_ H&M

ジェネリック衣料品。

_ OSXでJVMをCからいじくる場合の情報

10.6のupdate3を当てたらRjbが動かなくなったというバグ報告をもらった。

rjb bug#28667

これまで、rjbはjvmのdylib(WindowsのdllとかUnixのsoに相当)を直接ロードしていたのだが、10.6 update3 適用後になくなってしまったからだ。

報告者(Jeff)は、わざわざAppleのサポートフォーラムで訊いてくれて、結果として、dylibを直接呼ぶのではなく、/System/Library/Frameworks/JavaVM.framework/JavaVM"を呼ぶのが正しいということがわかった。

JavaVM なんだその名前は??? と半信半疑となったが、nmしてみると文句なくそれはdylibだった。(JVMにはClient版とServer版があるわけだが、何を残して何をどうしたかというところを見るといろいろ想像もつくのだがそれは置いておく)

そこまでは良い。当然、修正する。

そして再現のために、10.6 update3を当ててみる。Javaの修正が入る。ここまでも良い。

ところが、どうやってもextconf(configureのRuby版のようなもの)が失敗するようになってしまった。

ログを見るとjni.hが無いと出ている。ええーなんだって?

で、ls /System/Library/Frameworks/JavaVM.framework/Headers/jni.hとか見るとリンクはある。リンク先のCurrentJDK/Headers/jni.hもある。

が、実体がきれいさっぱり消えてなくなっている。

実体は、/System/Library/Framework/JavaVM.framework/Version/Currentがリンクしている同じディレクトリのAがリンクしている同じディレクトリの1.6.0がリンクしている同じディレクトリのCurrentJDKがリンクしている(うんざりしてくるね)/System/Library/Java/JavaVirtualMachines/1.6.0/jdkなのだが、ここのHeadersがきれいに消されてしまっているのであった。

10.6 update3とはそういうものなのだった。Javaは利用できるが(そのままでは)開発はできない、そういうことだ。

Apple版のJDKはdeprecatedだとか、そういった話は聞いていたがヘッダファイルを根こそぎ削除するとは思いもよらなかった。

しょうがないので、Mac Dev Centerに行くと、どこにもJavaの文字が無い(さすがに検索すると出てくる)。

というわけで、Xcodeの入れ直しかと思ったが、とりあえずTime MachineからHeadersを引っ張り出してrjbはmakeした。

いや、本当にAppleは独裁的だよなぁ(が、Rjbを利用してフィードバックくれる人はみんなマカーなので取りあえずはサポートするわけだが)。

追記:xcode3.2.4をインストールすると/Developer/SDKs/MacOS10.6.sdk/System/Library/Frameworks/JavaVM.framework/Versions/1.6.0/Headersに展開される。diffとるとjni.hは同じだから良しとするが、Gemのその場makeは無理だな。

追記の追記:と一瞬考えたが、gemをその場makeする人はxcode入れてるはずだから問題ないか。後でjni.hのパスをそっちに変えることをメモ(今すぐやるのはちょっと待つ)。

さらなる追記:Java for Mac OS X 10.6 Update 3 and 10.5 Update 8 Release Notesってのをやっと見つけたよ。

パスが上のレベルで変わっているのだ。その時に、Headersはupdate3ではコピーしないということなのだろう。

The location of the Java SE 6 runtime home has changed to /System/Library/Java/JavaVirtualMachines/1.6.0.jdk/Contents/Home.

というか、シンボリックリンクがすごくて、何が何やら。とりあえず、まっとうなたどり方がやっとわかった(が、Gemの性格上、古いパスも見る必要があるから、そこはextconfで吸収するしかない)


2010-10-25

_ ケネスローチ

今日、映画観にいったらケネスローチの映画の予告編やっててすごく観たくなる。

若い頃、ダンスパーティでトップになって、そこで彼女もつかんで結婚したけど、今では冴えない中年男。おくさんは愛想つかして家出ていって、息子には舐められまくり。

部屋に貼った等身大のサッカーせんしゅのポスターを眺めていると、そいつが出て来てアドバイスをくれる。かくして人生やり直しと行くかというと、息子がギャングと関わっていてさあどうなる……みたいな感じだ。

題材がうまいなぁ。

オゾンの映画の予告もそれなりに面白そうだった。いつの間にか、家族映画を撮るようになっていたのか、それとも予告をそう見せているだけで、相変わらず非家族映画なのかはわからないが。

シェリ (岩波文庫)(コレット)

本編のほうは、予想より遥かにうまい映画で驚いた。幻滅の瞬間(汽車の切符を手配しているのを扉越しに見ているシーン)や、悔悟の瞬間(母親と話した後に四阿の扉に幻影を視るところ)を見事に映画として表現している。心理小説の映画化としては理想的な出来だと思う。(オリヴィエラやシャブロルなんかの、そう来るか!といった意外性はないけれど、退屈で冗長になりがちなタイプの映画にも関わらず、全く弛緩しないのも驚きだ)


2010-10-26

_ RubyGems.orgへリリースしたgemの削除(登録解除)方法

FAQに出ていた。

gem 1.3.7以降と、gemcutterを組み合わせる。

gem update --system   # < 1.3.7の場合
gem install gemcutter
削除するには、yankコマンドを利用する。バージョン番号の指定は必須。
gem yank my-gem-name -v x.y.z
たとえば次のようになる。
$ gem yank rjb -v 1.3.0
Yanking gem from RubyGems.org...
Successfully yanked gem: rjb (1.3.0)
$

-vを指定しないとエラー。ただ、プラットフォーム固有gemについては指定できないため削除できないので注意。

削除したgemを復活させるにはundoオプションを利用する。

$ gem19 yank rjb -v 1.3.0 --undo
Unyanking gem from RubyGems.org...
Successfully unyanked gem: rjb (1.3.0)
$

2010-10-27

_ フランダース

日曜に、映画みたついでに文化村でフランダースの光展。

呑気な村を気に入った連中が2派、それぞれ独立して(お互いに交流なく)同じようなところで全然違う系統の画を作っていたというのがおもしろい。(名前がどうも第一世代はフランス系っぽく、第二世代はドイツ系っぽく感じたので、もしかするとベルギーという特殊な国に固有の事情があるのかも知れない)

最初は村長さんから始まる。1枚目と特に黄色い花と樹を描いた3枚目が好きだ。2枚目は妙なリアリズムで僕には気持ち悪く感じる。

で、その村長さんのところに、彫刻家がやって来て(この男の作品はまったく異質なのだが)、さらにそこにいろいろやって来て第1世代を形成する。この連中の画はどれも好きだが、兄弟の画家で労働者の妙に寸詰まりでガッシリとした画は独特(だが、彫刻家の作品とは共通するものがある)。サードレールという画家の農家や、その前の何点かがとりわけ素晴らしい。この世代の作品は、単なる風景に何か異様なものが隠されているという趣のやつ。

で、第2世代がクラウスという点描画の親分のような人を中心としたもの。クラウスという人が大作家なのは構図のうまさ、技巧の確かさからわかるのだが、まったく好きな画ではない。が、うまいし魅力はある。妙に上のほうに構図の中心があって、中ほどより下のほうを川と上から落ちる水面にうつる影を描いた弟子かなぁの作品が印象的。

この第2世代の中から新しい芸術が生まれて、その代表が名前はうろ覚えだがヴァンダイクみたいな名前の人(ヴァンデベルグだ)。子供が左で口を開けていて、中央から右にぽっかりと草原があいていて、その後ろに林、手前は柵かな(覚えていない)が、それは印象的な作品で、何か異様なものが隠されているタイプではあるが、第2世代の人の明るさがある。

その向かい側の納屋にキュビズム風な牛がいる農家の画(名前忘れた)も印象的だった。

日本人画家(クラウスの弟子)がそれぞれ白い椅子に腰かけて川を見ているモデルの絵があって、同じ素材だが、それを描く友人を描く画というメタな構図を描いたほうの人が好きだ。

第2世代にも兄弟がいて、どちらも石灰で白く塗られたリンゴの樹というか果樹園を描いていて、弟のほうが曖昧な感じなのだが、その弟は金持ちの家の画を書いていて、もう少しでヴァンデベルグになれそうでなれない。で、兄のほうは風景で消えたと思ったら(川の妙な構図は弟だと思い出した)、最後のほうにあたかも菅野修のような画が出てくるのだが、印象に残っていない(菅野修みたいだなぁと思ったというか、第一世代の弟の労働者の画も菅野修みたいだったような、というか、おれにとって菅野修の印象はすさまじいものがあるようだ)。

菅野修は、ガロに掲載したセメント樽の手紙がすさまじかったのだ。

筋子(菅野 修)

はて、これはどういう表現なのだろうか。


2010-10-28

_ ToolboxからのD&D

オンラインサポートの人がすごい。

コントロールの中のコントロールのデザイン時制御

が、残念ながら、バグがあってなかなかうまくいかなかった。

もしかすると、VS2010の問題かも知れないが、CF_NDP_TYPENAMEから取り出したバイト列をEncoding.UTF8で変換した文字列の一文字めはBOMになっている(Char.BOM定数が欲しいね)。そのため、Type.GetTypeが失敗する。MessageBoxで表示しても見えないので、何かアセンブリ参照に問題があるか、またはセキュリティ設定の問題かと、全く違う方向でトライ&エラーをしたため無駄に時間を使ってしまった。

後、この方法だとドロップしないと貼れないので(ASP.NETみたいだ)ちょっと、別の方向を試した方が良いかも知れない。


2010-10-29

_ OS XのJAVA_HOME

なんと、コマンドになっていたとは。

/usr/libexec/java_home

http://developer.apple.com/library/mac/#qa/qa2001/qa1170.html

もしかしてソフトウェアアップデートではなく、個別にインストールするとHeadersは消えないのかと思って、Java for Mac OS X 10.6 Update 3を入れてまた消してしまった。

それにしてもタイムマシーンというかタイムカプセルは役に立つなぁ。

APPLE Time Capsule 2TB MC344J/A(-)


2010-10-30

_ 字を読むねずみ

学校ねずみのフローラ (子どもの文学―青い海シリーズ)(ディック・キング=スミス)

子供に何か本を貸してくれと言ったら、子供の頃読んだらしい本を貸してくれたので読んだ。

学校に住んでいるから学校ねずみのフローラは、好奇心が強く、人間がやっていることに興味しんしん、ついに文字とは何かを知って勉学に励む。字が読めるおかげで、ネズイラズというおいしそうな食べ物の注意書きを読むが、時すでに遅し、兄を始め兄弟は全滅、辛うじて両親(と次の年の弟妹たち)は命を取り留めたものの学校を怖がって出ていってしまう。

というようなお話なのだが、兄弟達が次々と死ぬ(農場に逃げた弟妹も1人を除いてイタチに食われる)と、ピーターラビット同様、過酷な生活ではある。というか、日本の児童文学が死なな過ぎなのかも知れない。このあたりは、興味深い。

最後は妹が恋人(になるはずの子供)を連れ帰って、本人も妊娠、母は3度目の出産、とにぎやかになっておしまい。

図書室に開いたまま置いてあった百科事典がたまたまげっ歯類のページだったので、糞によって検出されると知って対策をねるとかはおもしろい。性格的には親父のだらしなさというか大らかさが良い味だ。

そしてもう一冊、同じく本を読むねずみの本も貸してくれた。どちらもメスねずみが主人公だな。

灰色やしきのネズミたち(ひとみ, 若林)

小説的な面白さはこちらのほうが上だ。主人公のネズミが字を読むようになった理由はより切実で、白子だということから差別されて、図書室というネズミが生活するには向かない、つまり食糧を入手しにくい部屋を割り当てられたからだ。

割当てるってのは、独裁者がいるからで、特に参謀役のヨーゼフが良い味をだしている。というよりも、教養ある無能人の大統領を、力もあればそこそこ知恵もあるネズミが、うまいタイミングで失脚させて支配権を獲得するのだが、その後も政権を維持するためにいろいろ工夫を凝らすのが楽しい。で、差別されている1人を含め、みんなが付和するわけだ。その付和の仕方が実に生々しい。それこそが恐怖である(著者は2種類を書き分けている。恐怖から沈黙する少数と、大多数の熱狂的な賛意だ。どちらも結果は変わらない支持で、しかも皮肉なのは少数の沈黙者が勇気を振り絞ると、かっちりと殺されるという現実性だ)。

解説を読むと、筆者は講演などで、年寄の言葉に耳を傾けなさい、すぐに失われるから、と唱えて回っていたらしい。

多分、彼の危惧は正しい。1930〜1940年代初頭、君の曾祖父さんは何処で何してたんだい? と思わず聞きたくなるような言説を見かけることは多い。非国民だったのかな? それとも戦ったのかな? 戦ったとしたら何処で誰とかな?どういう状況でかな? どんな武器でかな? 何を感じていたのかな?そういう生々しい家族の1940年代を知っているのだろうか。


2010-10-31

_ 見つかった

Java for Mac OS X 10.6 Update 3 Developer Packageというのがあると、RubyForgeのRjbのトラッカーやフォーラムで教わるのだが、どこにあるのかまったくわからないまま1週間が過ぎたのだが、グーグルさんに訊いたら答えがわかった。

Download and ADC Program Assetsというところにあった。

誰もリンクを張らないはずで、ADCメンバーじゃなきゃ入れないし、URIはWebObjectsが繰り出す強烈なやつ(200文字以上ある)だからだ。かも知れない。

で、それをインストールして、こないだ見つけたjava_homeコマンドを組み合わせると、

File.join(`/usr/libexec/java_home`.strip, 'include')

で求めるものが得られたのだった。``の出力って改行が付くけど不便だな(getsできるのがメリット?)

地獄の季節 (岩波文庫)(ランボオ)


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