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日々の破片

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2023-04-02

_ デルトロのピノッキオ

家族でデルトロのピノッキオをNetflixで観たが半端ないストップモーションアニメに驚いた。

あまり事前情報を知らずに見始めたのだが、最初にストップモーションで作ったと出てきて、へーすごいなぁと(たとえばウォレスとグルミットとかを想像しながら)観始めたら、どうも違う。120分近い映画で最初の20分がピノッキオ無しで息子のカルロとジュゼッペの家庭シーンが続くのだが、何度目かの街の中に入るシーンが、いやこれはストップモーションではないだろう、という驚異の映像。オーソンウェルズがごめんなさいするのではないかというくらいの長回しで次々と人が出てきては挨拶を交わすのだが、これストップモーションアニメでは無理だろう。で、アップになるとストップモーション、それ以外はCGなのかなとか考える。

ピノッキオが最初に動き出すシーンはまるで巨大蜘蛛みたいで(恐怖映画というかなんというか)おっかない。

黄泉の国のウサギが良い。黄泉の国には3回行き、2度目は爆笑ものに変えて3度目が正直となる。

Netflixの悪い仕組みで、エンドロールの途中で別の映画に勝手に移動するのだが、それがメイキングだったので本編に戻さずにそのまま観ていてびっくり仰天。長回し含めて全部ストップモーションで作っている(その様子を早回しで示しているのでとてつもなくおもしろい)。秒24コマのフィルムと同じなのかどうかは知らんが(そもそもフィルムの映画かビデオの映画かわからない)、どれだけの時間をかけて長回しで撮っているのだろう? 製作に15年かかったと言っていたが、撮影だけにそれだけかかってもおかしくはない。メキシコのスタジオを使ったらしいが人件費が安くなければ作れない道理だ。

サルがサーカス団長に報告に行く驚くべきシーンも当然CGを駆使しているのだと思ったら、このシーンの撮影シーンと自慢話(どれだけ自慢しても全然OKなのは間違いない)もあって、タイミングと長さと複雑さにかけてはロシュフォールの恋人たちのブブをお迎えに行くシーンと同等以上の凄まじさだ。つまり映画史的だ。

街の城壁をくぐって右側の家の壁面のポスターの変化が時間の推移を示す。

物語は3組(疑似的なものが2組、子供の入れ替わりを含めれば4組)の父子の関係の物語だと妻が言うが、それにしては1組は中途半端な消え方をするように感じる(おそらく2時間を超えるのでカットしたのだろうと妻は言うのだが)。

冥界と現世の行ったり来たりであるとか、主となる時代背景であるとかは、水先案内人が昆虫なところを含めてパンのラビリンス(絶対、牧神の迷宮と日本語化するほうが良いと思う)にとても近い。

この映画のストーリー上の最大の美点は、ピノッキオ本来が持つ良い子の型にみんな(ジュゼッペ、妖精、コオロギなどなど)で寄ってたかってはめようとする物語とは一線を画している点にある。

元の話とその各種映像化では、ピノッキオは純粋無垢(まあ、実際問題としてムク彫りなわけだが)なので簡単に誘惑に乗って悪の道(やら怠惰の道やら)に染まっていくので良心たるコオロギやらが説教を食わせまくるのだから、当然、これもそうだろうと思って観ていると全然違う。

たとえばピノッキオは断固たる意思をもって見世物一座に参加する。し、周りに対して影響を与えて変えていく。変わるのはピノッキオではなく周囲のほうだ。それがとても観ていて心地良い。

恐るべき傑作だった。


2023-04-08

_ 平和の日

オーチャードホールでリヒャルトシュトラウスの平和の日。

1930年代に作られた奇妙な作品だった。音楽は普通に20世紀の音楽。エレクトラの頃のような絶叫する不協和音の連続というよりは影の無い女以降の落ち着いた雰囲気で聴き心地は良い。

物語は奇妙で、元はツヴァイクが途中で放棄した作品らしい。ヨーロッパ統合主義の思想的影響下とナチスによる第三帝国によるヨーロッパ統一の間で揺れ動く不安定さがある。よく知らないが初演はチェコスロヴァキア併合を記念して行われたらしい。

カソリックの城壁都市の要塞に立てこもる司令官と部下によって物語は始まる。

新教徒によって都市は包囲されていて都市は飢餓状態にある。

ローマ皇帝からの密書には勝利かさもなくば都市を破壊して死ねとある。のちのパリ司令官のようである。

司令官の妻は死よりも平和を願うが、司令官と忠実な部下たちは皇帝の命に忠実たらんと欲する。

いよいよ銃弾も食料も尽きんとして、司令官は要塞の爆破と自決を決断する。部下たちに選択を迫る。傭兵の一人は逃走を選択し、一人は共に残ることを選択する。

そこに敵の包囲網が白旗を掲げて(銃口に花をさして)迫って来る。

敵の司令官(鉄平、出番は少ないが良い役だ)との会談となる。教会で関係者一同による協議が行われて停戦指令が出たという。とはいえ司令官が受けているのは皇帝からの玉砕指令だけだ。葛藤の末、司令官は妻からの助言に従い、停戦に合意する。平和が来た。合唱が平和を歌う。

演奏会式上演だが、コスチュームプレー。指揮の準・メルクルは良い指揮(音楽に弛緩がないし、歌は歌になっている。とはいえ聞き比べる対象もないのでこの作品としてはどうだかはまったくわからないが)。

舞台は抜群におもしろかった。が、作品の奇妙さ、とってつけたような停戦による平和が実に奇妙だ。

_ マリー・ローランサンとモード

オーチャードホールで平和の日を観た後は、ミュージアムでマリー・ローランサンとモード展を観る。

モードは変わるがスタイルは変わらないというシャネルの言葉が良い。

マリー・ローランサン展を見てとにかく気になったのは、シャネルの肖像画だ。

流行にのってシャネルはマリー・ローランサンに肖像画を注文する。しかしその出来栄えに満足せずにシャネルはローランサンに書き直しを要求する。しかしマリー・ローランサンはそれに応ぜず、それどころかシャネルのことを無知な田舎者と(まさか面と向かってということはないだろうから知人に対してだろうが)罵ったとのことだ。そしてその画を廃棄せずに残している。

なぜシャネルは気に食わず、なぜローランサンは描き直しに応ぜずに無知な田舎者と罵ってしかもその(売れないことがわかっている)画を手元に残したのか、これは実に興味深い。

シャネルの肖像画が展示されている20年代の他の肖像画との顕著な差は中央上を飛ぶ鳩と右の獣(最初驢馬かと思ったが他の作品との共通点から牝鹿だと考える)犬のポーズ(犬は最初から他の作品にもあり、おそらく富裕度を示す)だ。

シャネルが気に食わなかったのは顔かも知れないし色遣いかも知れないし余分な動物かも知れないし、そこはどうでも良い。

おそらくローランサンは、シャネルであればわかってくれるであろう意味を画に複雑に織り込んでいる。彼女の1910年代前後はアポリネールとの5年間であるのだから、意味に意味を重ねて更に意味を生み出す手法は十二分に学んでいるはずだ。彼女のキャリア的なモードはキュービズムから始っているかも知れないがスタイルは象徴主義の影響下にあっても何も不思議ではない。

虐殺された詩人 (文学の迷宮)(ギヨーム アポリネール)

(かっては文庫本で出まくっていたアポリネールの作品群がほぼ市場から消え去っているのには茫然とせざるを得ない)

その画にこめられた意味をまったく理解されなかったことが描き直しを拒否して悪口を言うこととなる理由だろう。

と考えると30年代からの変質の理由は、買い手の素養教養が1920年代とは桁違いに低まったからに違いない。意味が読解されなければ、意味の代わりとなるもので画を補わなければならない。それのために選んだものが色彩なのだ。

おもしろかった。


2023-04-09

_ 生きる

カズオイシグロ版の生きる。

黒澤版は有名なブランコシーンくらいしか覚えていないので相当に新鮮ではあった。

特に、部下と一緒に立ち上げって視察に行くところから一転死後の話に変わるところは抜群のうまさに感じた。

店長候補として雇われたはずがいつまでたってもウェイトレスという指摘のシビアさにしびれる。この状態もゾンビ―と言えなくもない。

喉元過ぎれば熱さを忘れる最後の後にもう一捻りあったようななかったようなそこは記憶が曖昧だ。

おおウォータールー駅(キンクス、ボウイのカヴァー、トムヴァーレインを思う)だ。


2023-04-16

_ シン・仮面ライダー

やっと都合がついたので豊洲でシン・仮面ライダー。

予告編をみたときからえらくおもしろそうだと思ってわくわくしていただけに感無量だ。

仮面の口のところのギザギザが大写しになるだけでしびれる。こんなに仮面ライダーが好きだとはまったく思いもしなかった。

いきなりトラックを相手にバイクのタンデムでのカーチェイスから始まる。崖の上から飛び降りるとベルトのバックルに仕込まれた風車がくるくる回って変身する。おお、これこそ仮面ライダーだ。

と思ったら血が飛び散りまくる強烈な暴力シーンになってびっくりした。仮面の中に仕込まれた昆虫脳にする機構で歯止めが利かなくなるという設定らしい。

ところが、しばらくすると辛いと幸せは良く似ているというようなどうしようもないセリフが出されまくる。明日といういう字は明るい日と書くのね時代っぽい。

で、ああ、そうそうこういった妙にセンチメンタルで自己陶酔の極みのようなセリフこそ石森章太郎の持ち味だったと思い出す。

まったくもって石森章太郎の世界だ。

今でも強烈な印象があるのが、0011だと思うがアポロンとの戦闘中に「なんだお前の強化能力は加速装置だけなのか?」に対して009が「あとは勇気だ」と答えるシーンがおれにとっての石森章太郎の原点なのだった。子供心に、いやそれではだめだろうと強烈な印象を持たされた。

後になってタイトルはハリウッドに元ネタがあると気づいた(さらに本当の元ネタはウィリアムアイリッシュだと思う)が、夜は千の目を持っているというとんでもない少女マンガや、あるいは009の元単行本の6巻にあたる少年マガジン連載の末尾の002と一緒に大気圏に突入すると流れ星のようになってそれを見ている少女が願いごとをするとか、手塚治虫が嫉妬のあまり蛮行に及ぶことになるジュン(こちらはセリフすらない)とかの、べちゃべちゃのセンチメンタルが石森章太郎なのだった。

石ノ森章太郎コレクション ――初期少女マンガ傑作選 (ちくま文庫)(石ノ森 章太郎)

それにしても、サイクロン号を試乗していて速度を上げるとカウルやマフラーがばきばき変身していくところとか見ているだけで嬉しい。

こうもり男との戦いは失笑のきわみ(と思ったら、さらに後で2号とのバトルでもっと驚くことになるわけだが)だが、高速移動の最中の「お前のジャンプ能力は45mだからおれは安全だ」とか「それはどうかな」(というセリフがあったかどうかは覚えていないが、まあないだろう)からの一連の流れとかも楽しい。

というか、仮面ライダー1号と2号のスタイルそのものだけでいつまでも観ていられる。

と、石森章太郎ワールドの再現だよなぁと楽しんでいたわけだが、あれ? と思ったのは本郷猛が一人で蝶男(イナズマンか?)との戦いに向かうのを橋の上から2号が見ていておれには関係ないというようなことを言うところからの、暗闇の中でのバトル経由で、これでおしまいだというところでの助太刀入りの流れが、池辺良と高倉健の東映映画っぽくてこれもおもしろい。

「兄貴、悪いがおれは足を洗ったんだ」からの「お前もずいぶんな馬鹿野郎だな」までの一連の流れに沿っていて、こんなところで東映映画にも目くばせしているのかと感心した。

最高だった。


2023-04-22

_ エンジェルス・イン・アメリカ

新国立劇場でトニー・クシュナーのエンジェルス・イン・アメリカ。

とんでもなく濃密だった。

クシュナーは知らん作家だと思ったが、スピルバーグと組んで脚本を書いたりしている人で、ウェストサイドストーリーを観ていた。

その人が1990年代初頭に書いた作品で、2部構成。第一部は1985年、第二部はその続きだが、最後は1991年に終わる。レーガンに始まり、ゴルバチョフで終わる。

登場人物は、プライヤー(priorのカタカナ読みを始めて知った。ずっとプリオールとフランス語風に読んでいた)とルイ(ルイス、ルイーズ)のゲイカップル、ハーパーとジョーの夫婦、ジョーの母親、ジョーの(直接なのかな?)上司のロイ(実在の人物とは知らなかった)、研修医(なのか介護士なのか)のベリーズ、天使(と看護婦)。ただし必要に応じて、6人の天使になったり、ラビになったりする。

事前の知識は休憩時間を含めて8時間以上の演劇で2部構成ということぐらいに留めて臨んだわけだが、まったく問題なかった。必要な情報はほぼすべて語られている。ただし、共和党支持者がルーズベルトを称えるのでなぜ?と思ったら、共和党でネイティブアメリカン絶滅政策支持者のセオドアと、民主党で日本人差別主義者のフランクリンの2人がいて、劇中で称えられているのはセオドアのほうだというのはわからなかった(さっき調べた)。

冒頭、天使が飛ぶシーンの後、養老院で死んだ婆さんのためにラビが呼ばれて祈祷を行うシーンから始まる。この人のことは知らんと言いながら、子供たちの名前を読みあげる。次に孫たちの名前を読み上げはじめるのだがマックスというような名前で引っ掛かる。ユダヤの名前ではないが……。

プライヤーとルイスの会話。ルイスまで発音するとばれるのでルイと呼ぶというようなことを話している。のちにルイスは自分のことをルイーズと紹介したりする。

ロイのオフィス。ロイは次々とかかる電話に応対する。その中で金を返す話がはさまる。ジョーは終わるのを待つ。が終わらない。ジョーはモルモン教徒だということを話す。ロイは司法省に手を回すからワシントンに行くようにジョーに伝えるが、ジョーは妻と相談する必要があると答える。

ジョーは家に帰り妻(明らかにおかしい言動)と会話する。

プライヤーは肉腫ができていることをルイに言う。ついにプライヤーは倒れてしまい救急車で病院へ連れていかれる。意識を失っているプライヤーの看護士に対してルイは散歩に行かなければならないと伝えてくれと言って立ち去る。

ジョーとルイが職場の近くの公園か食堂で出会う。

ロイは発症して入院となる。ベリーズが担当となる。保守的で権力を持つ老人と、ゲイの移民の看護士という立場が違い過ぎる二人組が反発しながらもうまくやっていくというフランス映画があったなと思い出す(未見だ)。ベリーズは冷蔵庫の中のAZTの山を見て驚く。本当に権力者なのだと知る(ロイはコントラに関するスキャンダルを暴露することをほのめかしてAZTを手配している)。お互いの罵り合いでベリーズがユダヤのクソ野郎と罵るとロイはおもしろいと言ってAZTを1つ分ける。ベリーズは冷蔵庫から2つ取り出す。

というように、短い会話による短景をつなぎ合わせて物語が紡がれる。

各短景が始まる直前に補助的な音楽が序曲として入る。

これがリズミカルで長丁場を感じさせない(もっとも約1時間ごとに15分の休憩が入るので、その意味では長丁場とは言いにくい。ラインの黄金のほうが倍の長さの神々の黄昏よりもしんどいことの逆だ)。

ハーバーとプライヤーは夢の中でお互いに出会うし、ハーバーは夢の中で出会う旅行案内人に南極へ連れていかれるのだが、それと軌を一として家からいなくなる。

完全リアリズムというわけではない。が、必ずしも妄想だけで完結しているわけでもない。

ジョーの母親もプライヤーを預言者として扱うために降臨する天使を見る。プライヤーへヤコブのように戦うことを告げる。天使からヨナと呼ばれていたにも関わらずプライヤーはヤコブの梯子を上る。天使との戦いがあまりにも不利であることは、ジョーがすでに指摘している。ジョーの母親は敬虔なモルモン教徒なので、天使がお告げをするために舞い降りてくることは現実にあり得ると考えている。

ロイの病室には常にエセルローゼンバーグの幽霊がいて嫌味を言いまくる。ロイが死ぬ。ベリーズに呼ばれてルイが来ている。ベリーズはユダヤ教の祈祷(カディッシュ?)をするように言う。誰がこんな共和党のクソ野郎のためにとルイは反発する。それはそれとして許すというのが重要だとベリーズに諭されてしぶしぶ祈り始めるがちゃんと覚えているわけではないので詰まる。するとエセルが助ける。祈りが終わった後、ルイとベリーズは冷蔵庫からAZTを運び出してプライヤーへ与えようとする。

朝、当然のように夢だと考えるが、看護士を見て驚く(看護士と天使は一人二役)。

最後、和解したルイとプライヤー、なぜかジョーの母親、ベリーズの4人がセントラルパークの天使を眺めながら政治談議をする。ルイはゴルバチョフのペレストロイカを称える。が、ジョーの母親がユーゴスラビアはどうなのかと指摘する(まだセルビアの民族浄化戦争の前だ)。プライヤーは彼らの会話を離れて、観客に語り掛ける。


2023-04-30

_ クラウドストラテジー読了

山野さんからもらったクラウドストラテジーを4週間くらいかけて読了。

数年前に読んでいたらと口惜しさ1/3、ああそうかと目からウロコが2/3という感じ(数年前にオンプレ系の企業からAWSメインの企業に転職したので、AWSの山のようなサービスの取捨選択を数年かけて実地で試行錯誤しながら現在に至るという感じなので、すでに通り過ぎた道についてはあの時に知っていればなぁというのと、今になってもわかっていなくてなるほどというのがある)。

特にクラウドで重要なのは、使い捨ての概念で、どうしてもオンプレ的な頭から抜けるのは難しい。そうなるとEC2のインスタンスを抱え込んで課金額を目にすることになる。

本書はおおざっぱに、クラウドとは何かの軽い説明、組織論(オンプレの分業制とは変えたほうが良い)、アーキテクチャ(どう組むのが良いか)、お金の使い方となっている。

あまり生な技術的なディテールは無く(YAMLのコードが出てきたりはしない)、ケースと考察の繰り返しによった書き方なので、ある程度はいじくったことがないと実感がわかないかも知れない。一方、とにかく考え方を頭の中に作る目的であれば、必要十分以上の内容となっている。おれにはやたらと為になった。

組織論とお金の使い方はわりと関係していて、長い稟議の果てに予算を確定させる方法だとクラウド上にオンプレマシンを配置した、ということになりかねない。借りて使って捨てるをくるくる回すのが望ましいから、そういうお金の回し方が可能な組織が必要というようなことになる。それにしても、ここでおれが書いたまとめはおおざっぱ過ぎる。

あと、とにかく目からうろこだったのが、MTBFとMTTRに対する考え方をクラウドでは変えろという主張で、これは凄まじく納得した。

オンプレであればMTBF(フェイルする間隔)をとにかく長くとる。そのために冗長化する。冗長化のコストは最初の機器調達にもっぱらかかる(その後の運用のコストが2倍になるわけではない)。

が、クラウドであればMTBFを考えるよりもMTTR(復旧速度)を重視しろ、という教えだ。

新たにEC2を借りて、そこに用意してあるDockerコンテンナを動かすだけならば数分だ。itamaeなどのデプロイスクリプトを使っても30分もあれば可能だ(でも、これ読んでちょっとまじめにコンテナ化へ移行を始めたところだったりする)。今はDevOpsが重視されるのは当然のことだったのだな。

であれば、冗長化して使わない(キャパシティーに問題なければ)インスタンスをあらかじめ確保する意味がどれだけあるか?(数分の停止も許容されないシステムはあるからすべてがすべてというわけではない)。

その一方で、スーパーマーケット的な買い物をしないようにという教え(いろいろなサービスがあるからつまみ食いしまくって、そのまま放置してレジでびっくりみたいな)とかもあって興味深い。試して使わないと考えたらすぐ削除。

とにかく実に学ぶ点が多い本だった。

書き方がゆるいので読みやすくて、その点でも良い。

クラウド ストラテジー~クラウド移行を成功に導く意思決定に基づくアプローチ~


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