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日々の破片

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2022-07-02

_ メトライブビューイングのランメルモールのルチア

新宿ピカデリーでランメルモールのルチア。

予告編を観たら、現代演出でおもしろそうで、事実おもしろかった。

ルチアの物語そのものはそれほど大したものではない。ランメルモールで2つの貴族が相争っている(貴族というよりは村の顔役が2ついるという、天保水滸伝みたいなものだし、ロメオとジュリエットみたいでもある)。

アシュトン家のエンリーコは対立するレイヴンウッド一家の親父の暗殺に成功し一見絶好調だが資金難に苦しんでいる。そのため妹のルチアを金満家のアルトゥーロと結婚させることを目論む。しかし妹は命を救われたことからそれと知らずにレイヴンウッドの生き残りのエドガルドと愛し合っているため、結婚を拒否する。エンリーコはかって世話をした関係から一家に逆らうことができないルチアの教育係(というか一家の軍師なのだろう)のライモンドと図って一家復活行脚のために留守にしているエドガルドとルチアの通信を断ち切り偽の情報をルチアへ与える。ルチアはあきらめてアルトゥーロとの結婚を承諾する。それと知らずにランメルモールに帰って来たエドガルドは命の危険も顧みず結婚祝いに沸いているアシュトン家に単身乗り込み大立ち回りを繰り広げる。図られたと悟ったルチアは混乱した末にアルトゥーロを殺害し暴れまくる。一方、レイヴンウッドの古城で暗殺された父親の墓前で復讐を誓うエドガルドの前に村人やアシュトン一家のその他大勢が訪れてルチアが死にかけていることを伝える。ルチアは死にエドガルドも自殺する。

という話を、デトロイトあたりの荒廃した町に舞台を移して、エンリーコは全身刺青の麻薬の売人の元締め(しかし最近上りが少なくじり貧。それにしてもルチンスキーがさまになり過ぎている上に歌も声も演技も良いので、作品自体はエンリーコが主演のように見える。ただ、この人、全員出てくるといささか小柄に過ぎてそういう印象を持たなかっただけに驚いた)、エドガルドは倒産したスクラップ屋の倅、アルトゥーロは妙に気持ちが悪い人(という演出なので歌手はいささかかわいそうであるが、気持ちが悪い金持ちを好演している。ラ・フィーユ・マル・ガルデのおちょこの傘持つ金持ち息子みたいな感じだ)。で、ライモンドは立ち居振る舞いから職業(牧師らしい)までどう見てもアンデルセン神父だ(牧師だけど)。

HELLSING(8) (ヤングキングコミックス)(平野耕太)

ルチアはネイディーンシエラですばらしい。幕間インタビューではエドガルドのハビエルカマレナと肩を組んで、ラテン同士で相性ばっちりとか言われていた。

ドニゼッティの曲はきれいだし、サイモンストーンの現代への置き換えはうまくいっているし良いものだった。フリッツァの指揮はきびきびしていてこれも良い。

が、ふと思うのだったが、アメリカで演出するのであれば、いっそ西部劇にしたほうが良いのではないか? というか、エドガルドとエンリーコの早打ち合戦が無いことを除けば、悪徳保安官ライモンドに庇護された悪徳牧場経営主アシュトン一家に親父と弟を撃ち殺された上にレイヴンウッド牧場を登記簿の書き換えで盗まれて、果てはでっち上げの罪でお尋ね者となり逃亡生活をしていたエドガルドが町に帰ってくる。アシュトン一家が経営している酒場でルチアと意気投合する。一方、エンリーコは疫病で牛が死にまくっているので牧場は破産寸前。鉄道王のアルトゥーロに妹を売る策略を巡らす。

と、普通に駅馬車やOK牧場の決斗のプロットに似まくっている。


2022-07-03

_ 70年代の死

70年代(77年より前ということになるのだけど)の文化にはあまりというかほとんど思い入れは無いつもりではあるが、それでも幾つかどうにも原点のようなものはある。

ということに、宮谷一彦の死で気づいた。

宮谷一彦の作品は、全盛期ではなく、おそらく80年代に入っていたかも知れないが、青山ユアーズの裏にあった喫茶店に置いてあったジャンピングジャックフラッシュが収録されている作品集(おそらく青林堂から出ていたものなのだが、その記憶が確かなら、主な発表の場がCOMなのに、COMの出版社が無くなっているためガロの出版社から作品集が出ていたというのは皮肉な感じがする)を何度も読み返した。光と影の書き分けが強烈であり、ここぞとばかりにアップになり、筋肉の動きが強調されるところに、何か普通ではない表現を感じたのだろう。

結局おれにとっての70年代文化というのは、小学館が先鞭を切ったマンガの文庫本で買った赤色エレジーと真崎守のはみだし野郎の三部作と(同時に買ったつげ義春は別格で時代性というものは今にいたっても感じない)、後から読んだ宮谷一彦なのだった。これで見ると林静一だけが異質で、真崎守と宮谷一彦はいずれも肉体の描写が(前者はマンガ的な丸みのある絵で、後者は荒っぽい素描に近い劇画的な絵という違いがあるが)生々しく、暴力的なところがある。

このうち宮谷一彦と林静一がいずれも後年のデルシャノンについて言及している感じ方の差が興味深い。

宮谷一彦は1971年のライクアローリングストーン(ジャンピングジャックフラッシュを書いているくらいだからストーンズかと思ったら、ボブディランからということを書いている)の中で、67年版のランナウェイについて言及している。サンキューというMCに自分が呼びかけられたかのようにジーンとしたというようなことだ。

一方の林静一は、91年のPH4.5グッピーは死なないの中で、年取ったデルシャノンが唯一のヒットであるランナウェイをボサノバにアレンジして歌っているのを聴いて物悲しくなったと書いている。

どちらも61年のランナウェイを聴きまくり、それから片や10年後に力づけられ、片や30年後に寂寥を覚える。が、その感想の持ち方が、それぞれの作風の違いに合っていると思えてならない(いや、それが70年代ど真ん中とそれから20年が経過した時点の違いということもあり得るが、それ以上に作風とのシンクロを強く感じる)。

ライク ア ローリング ストーン(宮谷一彦)


2022-07-09

_ ペレアスとメリザンド

新国立劇場でペレアスとメリザンド。

大野の指揮はとても良い。この人は陶酔的な音楽を作る手腕は素晴らしい。とにかくうねるのだ。ただトリスタンとイゾルデのときは本人が陶酔しきってしまったのか観客置いてきぼりで(人によるだろうが)陶酔魔境に入り込んでとてつもなく無限に続く音響世界になって辟易したが(その印象が強いのでどうしても身構える)これは良い感じだった(煌めくような管がまた良い)。とはいえ実際に相当ゆったりめだとは思う(予定時間としては105分+65分で170分だが、手元のビリーがウィーン放送を振ったDVDだと全部で163分となっている)。

カレン・ヴルシュという人は最初のne me touchez pasが妙に甲高い叫びのようでこんな曲だったか? と思ったが実に良い。ゴローのロラン・ナウリも抜群。ベルナール・リヒターのペレアスもなんかぬぼーっとした感じが演出とあっているし、妻屋のアルケル王も良くて(というかいつでも安定だ)、不可思議な舞台装置の音響効果の良さもあってとにかく声が良くわかる。それにしてもイニョルド役の九嶋香奈枝が本当に子供みたいで(とはいえ妻屋含めて他の出演者がみな大きいからだろうが)不思議に思った。

舞台は、下手側1/3が洗面所だか台所だかの小部屋または塔の内部の階段または地下室の穴の周り(の階段)、上手側の2/3が寝室またはプールを模した泉または庭園または海岸の洞窟または城の食堂。交互に左右を遮る幕や上下を遮る幕を使って場面転換が速い。ペレアスとメリザンドが下手の小部屋で会話し、ペレアスが下手の扉から去ると、上手側の幕が上って食堂で家族が食事している真ん中にいるときだけは、こいつ走ったなお疲れ様と思わず労ってしまった(というかおもしろかった)。

演出は現代演出となっているが、おそらくウェディングドレスなのだろうを着たメリザンドがうたた寝して見る夢という枠組みの中で語られる。

内部は奇怪で、語られるテキストはペレアスとメリザンドはあくまでも単にそばに居てお互いの存在があるだけで幸福感を得られるという猫のような愛し合い方をしている(それはゴローもおそらくわかっていて、まるでガキだとか兄妹のようだとか呟くし、ゴローに言われて窓から二人を覗きこんだイニョルドも二人は単に寄り添っているだけだと報告している)だけなのだが、舞台の上ではペレアスはすぐにパンツを脱ぐし、メリザンドはそれを受け入れる(この演出をマクヴィカーが振付させられたらメリザンドは全裸になるのだろうなとか思った(新国立劇場ではえらく昔の水着のようなデカパンデカブラジャー)。あるいは日本ではなく欧州諸国であればそういう演出なのかも知れない)。

テキストが正であれば、舞台の上での二人の動きはゴローの主観による妄想の産物ということになる。

テキストと舞台の上の肉体の矛盾をドビュッシーの曖昧模糊とした音楽が繋ぎ合わせて最後の最後にきれいにトニカで止揚する。

それにしてもペレアスが奇妙で、もしかしたら病気の友人に対する気にかけ方などもありゲイなのかも知れない。したがって、メリザンドを愛しているのは事実だろうが性的意味での愛ではなく、本当にネコの愛情のようなものかも知れない。一方のメリザンドも子供いわくの不思議ちゃんなので、肉体的な愛情には無頓着またはわかっていないのかも知れない(そもそも年齢設定が見えない)。

一方、ゴローは二人よりも地に足がついている(猪を狩りする男だし、海岸に死にかけた浮浪者がいても浮浪者がいるのは飢饉が続いているからだとスルーしてしまう二人とは異なり、どうにかしなければという意識がある)。地に足がつき過ぎているので、ペレアスとメリザンドの不可思議な愛情を理解できず、肉体関係だけを考えてしまうのだろう。かくしてゴローはいきなりペレアスの首を掻き切って殺し、逃げるメリザンドを背後から斬る。

唐突にこの静かで(ゴロー以外は)生気がない城の中に異物として送り込まれた医者(河野鉄平だがさすがにオランダ人やザラストロと違って脇役も良いところなので見せ場あるわけではない)が、こんな傷では死なないと言っているにも関わらずメリザンドは死ぬ。ゴローの目にはおそらく不義の愛に対する自分への罰または語ることのできない恥辱で死ぬ(もう一人のメリザンドが枕を押し付けて窒息させる)。

ドビュッシーの別のオペラのアッシャー家の崩壊でも、まったく生きる意志のなさそうなアッシャー兄妹とその世界に取り込まれた語り手とは別に(そもそも原作にはない)異物として医者が送り込まれてくるが、ペレアスとメリザンドでの医者の役回りの重要さにドビュッシーが何か思うところがあって、似たような構造を作ろう(妄想の密通ではなく妄想の病死という違いはあるが)としたのだろう。

Pelleas et Melisande, opera de Claude Debussy (Theater an der Wien 2009) [DVD] [Import](Natalie Dessay)

(手元のビリー版はメリザンドがドゥセーでゴローが今回と同じくロラン・ナウリなのだが、実際に夫婦らしい)


2022-07-15

_ アラクニドはおもしろい

ピッコマでちまちま無料範囲を読んでいたアラクニドだが面倒になってKindleマンガで買って全巻読んでしまった。

これはとんでもなくおもしろかった。

フリーランスの集合のような(だからお互いに殺し合いや協定をばんばんやる)殺し屋組織(最初はなんか麻薬密売人か? 程度のちょろそうな印象なのが、だんだん話がでかくなって日中戦争から太平洋戦争に突き進んだ裏にはこの組織が関係していることになっている)に見込まれた女子高生を巡るバトル合戦。

著者の工夫どころは、すべての殺し屋が特権的肉体であったり肉体改造であったり技術であったり、それぞれ独自の手法で特定の昆虫のバトルパターンを身につけているところにある。たとえば主人公は蜘蛛だし、一の子分(かなぁ)になるのはゴキブリだし、敵になったり味方したりいろいろややこしいのはカマドウマだし、その他たくさん。どの昆虫(ただし、蜘蛛、ゲジゲジ、サソリといった別系統もいないわけではないから、昆虫というよりは、広く虫ということになる)が一番強いかを、ファーブルの観察などを織り交ぜながら殺し合いをしまくる。(掲載誌は少年マンガらしいし、主人公は女子高生だからお色気もないわけではないというか、最後のあたりの強敵はむしろそれが武器だったりする。この程度の絵柄――劇画調ではなく、あまりにオタッキーでもない、手塚漫画みたいな丸っこい絵柄――だとお色気シーンに嫌味がなくて好き)

良いバトルマンガ(格闘マンガといっても良いのだが、これは格闘技ではなく殺し合い)の条件は、いかにもっともらしく技の効果や特徴を説明し、やられ側とやる側の心理状態によってどう技が効果をもったかを上手く説明することがキモだと思う。

ホーリーランドやグラップラー刃牙が優れているのは単に肉体表現がうまいだけではなく、説明文の上手さ(説明のうまさ、書き方の自然さ、挿入頻度の適切さ、などなど多面的な才能が要求される)も最重要な理由だ。

マンガでの元祖は白土三平(陽炎の術やら炭塵の術やらの説明)と梶原一騎(空手バカ一代は当然として巨人の星のもっともらしい大リーグボールの説明や養成ギブスの説明)に求められるのだろうが、日本での創作界隈での先鞭は山田風太郎だろう。

で、アラクニドの場合、何しろ虫の生態はそれだけで興味深いのに、それをいかに技として説明するか、相手との食い合わせの良し悪しを含めて、現実の昆虫の生態と荒唐無稽な技の説明を見事に融合させている。とんでもないおもしろさだ。

最後はなんか筆者自身が収拾がつかなくなって中途半端に終わらせてしまったかのようなことを後書きに書いているが、そうは思わない。余情もあれば期待(続編あるだろうし、あれば読みたいと思わせる)も持たせるなかなかうまい終わらせ方だと思った。というわけで、誰ともなくお勧め。

アラクニド(村田真哉)


2022-07-16

_ 飛行士の妻

アマゾンプライムで飛行士の妻。そこに存在しない人の話題をするという意味での妻なのか、女を妻と訳したのかよくわからない。

特に公園でのリシュリーとのやり取りが無茶苦茶おもしろい。(時間とシチュエーションの説明だけ与えて役者にアドリブさせたのではないか?)

観終わってちょっと他の作品を眺めていたら、わが青春時代の3つの思い出があったので、つい観てしまった。やっぱり、この作品は素晴らしい。感銘を新たにした。

というか、ポールの家族、恋人がくすぶっているのがリールなのか。


2022-07-17

_ あの頃エッフェル塔で(再見)

題は本来の私の青春時代-3つの思い出 のほうが遥かに良いと思うが(3つの思い出は、映画スタイルとしても、二十歳の死、魂を救え!、そして僕は恋をする に対応していると強く思う)それはそれとして。

『あの頃エッフェル塔の下で』を見返してつくづく思ったがこの作品には高校生の頃に出会いたかった。

主人公の青年期のエピソードがまさに大学生かくあるべきのような描かれ方で、妙に感銘を受ける(映画としては本筋とは微妙にしか絡まないので忘れやすいが、この一連の描写が実に良い)。

主人公のポールは入学が決まったリール大学には取りたい授業がないので(日本のかっての高校の学校群のような仕組みなのかな?)、パリの大学のベナン出身の教授の研究室を訪れてどぎまぎしながら申し入れる。先生の著書を読んで感銘を受けた。先生の授業を受けたい。

何を読んだの?

これです。この本の~を僕も研究したい。

レヴィストロースは読んだ?

少し。

親族の基本構造は?

読みました。

ではクラインの四元群を図解してください。

(一生懸命書くポールの様子を先生が覗き込む)

ギリシャ語は?

わかりません。

なぜギリシャ語は学ばないの?

興味がありません。

なんでも学ぶことも重要なのよ。あなたは向かないと思う。

(凍り付くポール。一生懸命頭を回転させて応える)でも、僕のようなだめな学生も混じっていたほうが他の学生の励みになって良いと思います。

(先生笑いながら)だめよ。でも個人的になら授業をしても良いわ。この本の1ページ目を1週間かけて内容を発表してちょうだい。

で結果的に転入は認められないが個人的に授業を受けることができるようになり、最終的にはディプロームを貰い(リール大学には通っていないようだから単位の仕組みとかわからない。指導教官からディプロームをもらえば良いのかな?)大学院へ進んで外務省の研究員になる。

週末は郷里に戻って恋愛映画になるのだが、平日はほぼすべて貧乏で金がないから友人宅や図書館で寝泊まりしながらずっと勉強したり研究室で講義を受けたりする映画となる(放浪映画というか)。

と、このベナン人の先生との交流が(映画としては)感動的で、おお、学問とはかくも良いものなのかと観ていて実に深く感銘を受ける。


2022-07-23

_ チームラボボーダーレス

妻が終わる前に観に行こうと言ったので、チームラボボーダーレスを観にパレットタウンの廃墟に行った。

おもしろかった。

特に、左右に凹凸をつけた奥まった部屋に投影される画を入口で眺める展示が抜群におもしろい。

最初に3本の筋を描きながら地上を何かが飛んだあと蝶がぐるぐる回るのを観て(部屋自体がぐるぐる回り出しているような錯覚に襲われる)、一区切りついて人が移動した最前列で観た八咫烏(脚が三本なので八咫烏と思うわけだが)が枝に横並びにいるのが猛烈な勢いで飛び交うのが部屋の空間を完全に忘れて不可思議な虚空で眺めているような感覚に襲われるからだ(流れる音楽は、NHKのおもしろ科学番組で超新星が爆発するときのBGMに使うようなメロディーの曲)。

眼はだまされると第7(賽子を普通に振っていても絶対に出ない目でもある)の感覚で刺激する。それは実に気分が良い。

あまりにおもしろかったので帰る前にもう一度観ようとしたら、また蝶から始まって、で次は烏だろうと思ったら魚で(で、ランダムに流すのだなと気づいた)、そこまでは良いのだが、鳥獣戯画などのモチーフを利用した変なおじさん大行進のようなのが始まり、最初の数分はおもしろかったのだが、あまりに延々と続くのでうんざりした。(が、我慢した甲斐あってその後に八咫烏で満足した) さすがに立ったまま大行進を観るのはつらいが、あれがベッドルームで寝っ転がると寝付くまで流れるのであれば大層気分良さそうだ。


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