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日々の破片

著作一覧

2013-01-02

_ Ruby-1.9.3-p362

Ruby MSI


2013-01-06

_ なんということだ

レミゼラブルは相当楽しみにしていたのだが、たださんが怒っていて、それが確かに正当な理由(アップばかり)なだけに、がっかりだ。グリフィスも、こうなってみると、つまらないテクニックを発見したものだ。

あの話(映画ではなく、レミゼラブル)は良い点もあれば悪い点も当然あって、19世紀的な限界だろうと思うのだが、ガブローシュ(何かの連想で、ガブローシュカと「カ」を入れたくなるのだが、ナウシカかなと思ったけど、良く良く考えてみるとチェブラーシュカだった)を成長させずに退場させてしまうところに如実に表れていると思う。

どう考えても近代の光は、ガブローシュが成長した姿にあるだろう。あの親だから、子供は真理に近づける。エポニーヌ(というか、19世紀にあってもDQNネームという概念がちゃんとあるところが実に興味深い)もそうだけど、ガブローシュと異なり16歳だけにそういう選択ということでまあ、OK。

Les Miserables Live! The 2010 Cast Album(Cast Recording)

(音楽はいいんだよな。特に赤と黒は大好きだ。ちゃんと革命歌のパスティーシュというかオマージュになっている)

で、原作も実におもしろいのだが、19世紀の大物語だけに、しょっちゅう横道にそれて歴史的背景を延々と解説したりしはじめるのが、今となっては逆に辛かったりする。

レ・ミゼラブル〈1〉 (岩波文庫)(ヴィクトル ユーゴー)

で、子供が発見したのだが(おれは存在すら忘れていた)、とにかくアンジョルラスが好き(恋愛ではなく、友情以前の何かから)で好きでたまらなくて、これっぽちも革命の大義なんか信じてもいないのに、使い走りをしたりする(そのまま忘れてしまったり)グランテールの書き方が実に丁寧で、きっとユゴーもグランテールに一番近い考え方なんじゃないかなぁとか今になって想像したりする。だいたい名前が大いなる沈黙の大地(taireとterreは同音だからおそらくそうなのだろうと推測する)で、そこから芽も吹けば花も咲く。ま、やはり倒れるけどな。

散り行く花 [DVD] FRT-144(リリアン・ギッシュ/ドナルド・クリスプ/リチャード・バーセルメス)

歴史的に、最初のクローズアップという技術を採用した作品。一説によると、あまりにリリアンギッシュが美しいので、グリフィスが我を忘れてカメラを寄せたということらしい(このころは監督自らカメラを回していたのか?)。当然、試写時に映画会社の重役達が怒りまくり「顔しか映ってないじゃないか! こんな、ばかげた映画を誰が金払って観るんだ?」と削除を要求したらしいが、ゴリ押しして通させて、クローズアップという技術が映画に導入されることになった。

_ で、つい散り行く花を観たりして

著作権が切れているからアーカイブにあった。散り行く花

確か、近代フィルムセンターかアテネで観たような気がするのだが、もしかして初見かも(というくらいにまったく記憶に残っていない。多分、初見だろうなぁ。ポケコーラや国民の創生は結構記憶にあるから)

始まると延々と中国の港町のお寺やら阿片窟を映すので、はておれは間違った映画をダウンロードしたのか? と悩んでしまった。印象的な始まりだから観てたら覚えているはずだ。

無声映画(もちろん音楽はつく。本来は映画館付きの楽団が演奏するのだった)なのでセリフは聞き取れなくても問題なし……と思ったが、結構、文章が難しくて、停めながらじゃないと読めないところもあった。

たとえば、始まって15分くらいして、やっと本題のルーシーの家の描写になるのだが、「Fifteen years before one of the Battler's girls thrust into his arms a bundle of white rags - So Lucy came to Limehouse」なんてパッと出て消えても、おれには無理だよ。「15年前、バトラー(ルーシーの親父。バトリングバトラーという名前なのかリングネームなのか)の腕に、彼の女の一人が白いぼろきれを突っ込んでいった。そしてルーシーはライムハウス(ロンドンのスラムだと思うが町の名前だと思う)にやってきた」かなぁ。a bundle of white ragsが、つまり布にくるんだ赤ん坊ということだろうが、リアルタイムに読み取るのはきつい。

それにしても、登場シーンから、リリアンギッシュが不幸を絵にかいたようなおどおどして出てくるは、近所のおばさんから結婚なんかするものじゃないとか、街の女性たちからこういう商売をしてはだめよとか、未来に対して何か良いことをまったく聞かされずに育っていることが示される。

で、人の記憶というのは実にあてにならないなぁと、淀川長治が語る散り行く花を読んで考える。

そうしてお父っつぁんが、帰って来て「メシっ」と言うと、その13歳の女の子が慌てて飯つくつる。ところが怖いから、うつむいて、うつむいて飯出す、すると髪の毛引っぱって、笑え、笑え、Smile,smile,smile、と怒るんですね。そうして子供を殴るんですね、この子は、もういじけきってるんですね。

確かに、泣き出すと、親父は「笑え」と怒鳴るし、いじけきっているのは歩き方と映し方で十二分に示されているから、全体は間違っていない。しかし笑えと言うのは料理を作る前のことだ。で、笑うということがどういうことかわからないギリアンギッシュ扮する13歳(には見えないけど)のルーシーは、無理やり人差し指と中指を口の両端に入れてV字型を作ってごまかす(これが映画だよ。ここはバストショット)。

まあ料理の前後はどうでも良いことだった。

確かに、この親父はひどい親父なのだが、しかし髪の毛掴んで殴る蹴るとかはしない。そもそも、ここまでルーシーを(確かにきょどっているし不幸を漂わせてはいるけど)男手1つで育てているのだ。

ここでルーシーに当たり散らすのは、ライムハウスの虎をノックアウトした勝利に酔って女と遊ぼうとしているところを、マネージャに酒と女について文句を言われて、すごーくむかついたけどマネージャには逆らえないので弱いものいじめで憂さを晴らそうとした、その弱いものこそがルーシーだったと説明されている。

で、親父は殴るかわりに、うつむいて料理している背中にフォークをぶつけて、振り向くと素知らぬ顔をする(お前は小学生か、とあまりのしょうもなさにびっくりするわけだが、逆にいうと淀川長治の読みと違って、無暗な暴力は振っていない証拠とも言える。教育がこれっぽっちもない粗暴な親父が、マネージャに怒られてむしゃくしゃしている気分を暴力的に発散したいが、子供相手ではそれができずに、精一杯の意地悪をしていると読むべきだろう)。で、She has to wait ... 親父一人で飯食う。それを眺めるルーシー。テーブルマナーに我慢できない親父は下品な食い方をして5時にお茶に戻ると言い捨てて去っていく。ルーシーはバストショットで、親父はウェストショット(という言葉があるかはわからんけど、この映し方の差は興味深い)。ルーシーは親父の食べ残しを食べる(なんと。でも、まだ19世紀が残っている20世紀初頭のロンドンのスラム設定だから、これそのものは、時代的には並の待遇だと思うんだよな)。というわけで、不幸な境遇でありながら、この親父は淀川長治がいうほどひどい設定ではないのではないかと思いながら先を観る。

(なぜ、これがロンドンが舞台なのかと考えると、アメリカを舞台にするとシャレにならないからだろうなぁ)

で、(これは手紙の筆記体が読み切れないので怪しいのだが)母親が残したらしい大切に隠してあるサテンを髪に飾ったりして鏡の前で顔をつくろう描写であるとか、あるいは扉から出てきて、うつむき加減に歩き出すとか、そこら中に映画が溢れている。

もう一人の主役がthe yellow man(中国人)。

ちゃんと店を構えている。で、ルーシーを気にしているのだが、これは不憫な子供という視線だよな。仏弟子で、仏陀の言葉を伝えたいのだが、うまくいかない。ならば直接、英国へ乗り込もうと乗り込んだのは良いものの、志は敗れて阿片窟に入りびたり、店員をしている(のだと思う)。神父がジイエローマンの店を訪れて、「弟は明日、未開人を改宗させに中国へ行くんだ」と言ってHellと表紙に書いたブレチンを与えるのを「I...I with him luck」と答えて無表情に受け取る(無表情なのは東洋人のステロタイプだからだろうけど)。

で、ルーシーが家に帰ると親父が猛り狂ってる(酒場で女と遊んでいるところをマネージャに見つかって怒られたからだ)。でもまあ、ぶつぶつ小言を言われながら飯を作るルーシー。

ちょっと淀川長治、お前、間違ってるじゃん。親父は数時間後に次の試合が控えていてぴりぴりしているのに、ルーシーがうっかり熱々の料理を親父の左手にぶちまけたから、怒りに油を文字通り注いで鞭で叩かれるんじゃん(文字通り左手で稼いでいるんだから、大事な商売道具をどうしてくれるんだ、ということ。いや、だからといって子供を鞭で叩いていいわけじゃないが、100年以上前のイギリスの話で、体罰上等時代のことだからなぁ)。叩かれるのが嫌で、靴が汚れているととっさに親父の注意をそらそうとする子供心とか、このあたりの映画の作り方はうまい(でも、そのシーンを淀川長治は覚えていなかったようだ)。

で、なぜか店に入ってしまう(のは、いつも眺めて心を癒す中国人の店のショーウィンドウが閉じているからだ)。そこでルーシーははじめて優しくされるということを知る。キスしようとしてやはりやめる中国人だが、これも恋愛感情かどうかは微妙だ。もっとも国民の創生を作った監督のことだから、本来は恋愛映画としたかったのを、あえて微妙なニュアンス(何か天使のようなものが助けを求めに飛び込んできた――神性がそこにあるから、恋愛とは違うものとなる――を所有したいという感覚)で表現した可能性はあるだろう。まあ、アヘンを吸わせたりもしているけど。

でルーシーがなんの悪意もなく(あるはずがない)、Chinky? とか呼びかけるのでポリティカルコレクトネスがドキンとしたりするのだった。

(さらにその後の映像を観ているうちに、だんだん、不愉快になってきたぞ。黄色人種は白人の少女の金髪と碧眼に神秘的な憧憬を持っているという偏見で構造がつくられている作品じゃないか。それにしても差別映画だなぁ、だが表現は表現として見続ける)

で、拳闘士というか親父は自分と同じ祖国に生まれていないものは憎悪しているから、子供が匿われていると聞いて、仲間のごろつきを集めて取り返しに行く算段をする。こんな状態でライムハウスの虎との試合に勝てるのか? (当然予測されるのは、見事に負けて、その腹立ちまぎれで超暴力を中国人に仕掛けることだよな)

あ、このクローズアップ(親父)はすごい。

……どうも、今みたいに自由に映画を観られる状況になかった時代の人たちが薄れた記憶や伝聞を頼りに伝説をいっぱい作ったのだな。

バストショットは会話の箇所ではそれなりにあるし、最初のクローズアップは最後ではなく、中国人(チェンファンと読むのかな。ただしタイトルクレジットではThe Yellow Manとなっているので名前はどうでも良いらしい)が眠るルーシーを眺める箇所。そして実に強烈なクローズアップは怒る親父の顔だ。(ここからはマトモな人間ではなくなったという合図だろう)

で、ルーシーをジイエローマンの店から引きずり出して家に連れ戻す。鞭を取り出すと、ルーシーは物置に逃げて内側から鍵をかける。

うわ、シャイニングみたいになってきた。親父は斧で物置の扉を攻撃するからだ。

……で、ルーシーは死ぬのだが、死ぬところはクローズアップしないし、人差し指と中指作戦がうまく行かないという悲惨さ。

淀川長治が記憶から再構成した映画を語るのは良いとして(ただし、あまりに古くて監督の編集権すら存在しない時代なので、淀川長治が観た編集のバージョンもあり得ると気づく)、最後も随分違う。

それにしても妙な話だった。混乱に満ちたアングロサクソンの国へ、仏陀の教えを伝えに行ったジイエローマンの挫折の物語(全体の枠組み)なのか、バトリングバローズのように弱者へ鞭の一撃を食らわす人間はいないかも知れないが言葉の刃を他者へ振り向けることはしないようにしよう(タイトルの次に出てくるありがたい教訓)なのか。

いや、どれでもなく、これは20世紀初頭、映画が見世物だった時代の産物だ。

奇妙な黄色人種の振る舞いやエキゾチックな服やら飾り物、おどおどする美少女、ボクシングの試合、見つめあう瞳と死、シャイニングのジャックのような狂気で斧を持って迫ってくる親父、そういった奇妙なものを陳列して物語の枠組みを与えた見世物だなぁ。

実に良い映画だった。ちゃんと観るものだな。


2013-01-07

_ 映画評論のむずかしさ

ふと、気付いたが、淀川長治の散り行く花の評は、単に記憶違いや、異なる編集の別バージョンの可能性だけではない。

おそらく公開時期とそれをこれこその一本として観たはずということから考えると、英語から日本語に差し替えられた字幕(という用語で良いのだろうか)、または活弁のセリフを記憶している可能性がある。であれば、15年が13年(なので13歳)、親父が義理の親父などなどの差異は日本語化するときに生じたのではなかろうか。たとえば、当時の日本なら15歳ならさっさと家を出てしまいそうなものだし子供とは言えないので13歳にずらすとかが十分にあり得る。

これは現代の映画でも十分にあるだろうし(吹き替えの時間制約でコンテキストは変えないまでも内容の帳尻合わせをするとか、字幕の字数制限と80%の客層の知識レベル(というよりも常識レベルと言うべきかな。たとえばアイルランドでは誰でも知っている洗剤メーカーの名前を出してギャグにしているところを花王に変えるとか、さすがに現在は無いとは思うけど)に合わせて固有名詞などを変更するなど)。

文学にも同じことが言える。

あるいは、映画だと別のこともあった。

ゴダールのプレノンカルメンは日本での公開当時にシネヴィヴァン(だと思う)で観たが、シャワールームでのシーンで、もちろん、画面のほとんどすべてが霧で覆われているわけだが、字幕で「ここが滑稽なのは勃起しているところ」と説明が流れた。その映像を日本国外でちゃんと観た人、日本国内で観たけど字幕(この字幕はそのまま生き残ったのだろうか)から想像がついた人、単に修正された映像とセリフだけを観た人、それぞれで受け取る印象は変わってくるだろう(というか、今でもああなのか?)。

同じようにロブグリエの映画の色調変更問題もあった。確か修正し過ぎて全体の色が変わってしまって、ロブグリエはたまたま自分でチェックして仰天して日本公開を取りやめさせた(という記憶がある)が、気付かずに同様に異なる色調の映画として日本では公開されたものもあるだろう。であれば、これまた「~な色調によって~という効果が云々」みたいなことは全く言えないということになってしまう。

言語の問題と異なり、こちらは実にあほうなことだ。

カルメンという名の女-ヘア解禁版- [DVD](マルーシュカ・デートメルス)

(しかし、実に物悲しいタイトルになっているが、勃起しているかどうかはおそらくわからないのではなかろうか。というか21世紀になってもまだこんなサブタイトルが必要な時点でどこの後進国かと暗澹たる気分となるな)


2013-01-12

_ gitがエラーになってあせる

Ubuntuの最近のGUIシェルが気にくわないので、同じようにお手軽インストールなやつを探して、結局Linux mint(Debian)に落ち着いていたのだが、突然(素人が「何もしてないよ」というのと同じで、もちろん突然のはずはなくて、その前に何かパッケージをapt-getしているわけだが)エラーになって困りまくる。

最初は、WinodwsマシンからXで接続しようとしても、接続できない。しょうがないので、OSXからsshでログインしようとしてもできない。

面倒だけどコンソールをつないで、端末からgit pullしたら、

OpenSSL version mismatch. Built against 1000005f, you have 1000103f

はい?

で、aptitude install opensslとかしてみるのだが、最新版らしい。

というかクライアント側の問題なのだろうから、aptitude install libsslしてみるのだが、既にobsoleteになっていてまったく関係ないようだ。でも、OpenSSLとクライアントのバージョンミスマッチなら、libsslなんじゃないかなぁとそこでストールしてしまった。

それにしても、インフラとしてのOpenSSLの業の深さというか、どれだけ依存せてるんだろう? (Gemだってそうだ)

で、検索してたら、そのものずばりのgit pull fails with OpenSSL version mismatch errorというスレッドを見つけて、書いてある通り(とはちょっと違うけど)に、

apt-get install openssh-client

したら、openssh-clientのバージョンが古かったらしくて1:6.0p1-3に更新された。で、XサーバがあるからRebootしてやったら、Xだろうがsshだろうがgitだろうが動くようになった。

教訓:OpenSSLのインフラっぷりは知っていたけど、ssh-clientも負けず劣らず超重要なインフラ。


2013-01-13

_ ()

昨日(1/12)の東京Ruby会議で印象的だったのは、「個人でRSS見たりしないし(大意)」という言葉。


2013-01-15

_ AppStoreに接続できません

職場MBAに久々に火を入れて使おうとして、まずはソフトウェアアップデートだよな、とたまっていた4GBほどをダウンロードしたのだが、何かエラーになって消えてなくなった。

はてと、アップルストアにつなげようとすると、接続できませんというエラーになる。でもネットワークの問題ではない。さっきダウンロードしてたし。

ふと証明書がらみかな、と思い、アップデートが必要なんじゃないかと思うが、そもそもアップデートができないのだ。

検索すると、ルート証明書がデフォルトから外れた場合の対処法が見つかったが、それじゃない。キーチェーンアクセスの中はきれいだ。ふと、日付をみると、2012/1/1になってる。

これか。で、日付を直してOK。

_ エンドトゥエンドテスト

東京Ruby会議で、良くわからないので、エンドトゥエンドテストを書いて見せてOKを確認するという話があったのだが、エンドトゥエンドテストというのは初耳だったので質問した。ブラウザーに入力した項目がアプリケーションに来てどうしたのような解答でなんかわかったようなわからないような、いずれにしても、細粒度のテストではないのだろうとは見当はついたけど。

後になってmoroさんが、ユニットテスト-結合テスト-エンドトゥエンドテストというフェーズ分けをしているから、と教えてくれた。(どうでも良い話ではあるけど、僕の勤め先用語だと、UT、I(Integration)T、A(acceptance)Tで、単体、結合、受け入れとなる)

そこで、ふと、ユースケースを藁人形ではなくテストにいきなり落とすのかな、と気付き、ちょっと衝撃を受けた。


2013-01-18

_ CF

よくわからんのだけど、なぜCFReadStreamをなまで使う情報より、NSInputStreamをて使う情報のほうが多いんだろう?

CFなんちゃらのほうがリリースルールとかわかりやすいから使いやすいと思うんだけど。というわけで、識者の意見が知りたい。

_ Ruby-1.9.3-p374 msi

Ruby-1.9.3-p374のWindows用インストーラパッケージを作成しました。

ASRのページからどうぞ。

md5: 78ff940a881c61c07f3876299cd4ea72


2013-01-19

_ Ruby-2.0.0-rc1 msi

Ruby-2.0.0-rc1のWindows用インストーラパッケージを作成しました。

ASRのページからどうぞ。

md5: 0868fd6c5c5f3b02f7b818242ea084af


2013-01-21

_ ポーラをさがして

妻が図書館から借りてきて読んでいるうえに、子供まで読んでいたので、おれも読んだ。なかなかおもしろかったし、それなりの感慨もある良い作品だった。

ポーラをさがして (子どもの文学―青い海シリーズ)(さな ともこ)

主人公は小学6年か5年の女の子。塾に通っている。どちらかというと落ちこぼれた子供用の塾だが、というのは教育方針が自由第一だからだ。

とはいえ、その自由は、学問の自由により人間は自立するということを意味するのだが(主人公はなんとなくは理解しているが、納得まではしていない)、そこで主人公は同じクラスのしかし疎遠な子と仲良くなる。疎遠なのはクラスが異なるからだ。

主人公は(この本、読み終えてからいろいろ考えてみたが30年くらい前の本ではなかろうか、返してしまったので確認できない)中流家庭の子供でおそらく父親(作中でほとんど不在な点がまさに中流っぽい)は勤め人、母親は専業主婦。私立の中学を受験するつもり。クラスには仲良し友達が3人いて、いずれも幼稚園からの友達だ。運動系、ピアノ系、(一番中庸な子は忘れた)、がいずれも系統から見えるように同じクラスに属する。

ところが、塾で仲良くなった子は(そこは曖昧に書かれているが)おそらく母子家庭で、塾の月謝の捻出にも苦労している。主人公にとっておにぎりというものは、母親が作ってアルミホイルで包んだものだが、塾で仲良くなった子にとってはコンビニで買った品名を書いたシールが貼ってあるものだ。

というような違いに主人公は気づき、クラスというものを漠然と意識するようになる。

というように、まさにYAものの王道を進みながら(性についても多少出てきたりいろいろ)物語は、迷いネコのポーラを探す旅に突入する。

探しているのは、広いマンションに住む紫のカーデガンを着た上品な老婦人だ。

さらに物語は嫁姑問題や、老人性痴呆の問題なども抱え込みながら突っ走る。

世の中は難しい問題をいろいろ抱えながら、しかし進んでいく(それも結構しぶとく)と終わる。最後に見事なイラスト(挿絵画家がきちんと本を読んで書き分けているのには感心する。丁寧に作られた良い作品だが、それだけに後述の粗が目についた)が入り、それほど悲観的になることはないということも告げる。

小中学生には良い本だろう。

粗はあって、お金持ちの描写があまりにステロタイプな点はひっかかりまくった。特に車に乗ってフレンチレストランへ行って、食前酒にワインを飲み、食後に子供たちを送り届けるって、それは飲酒運転で(なんの悪気もなく描写されている点からは)編集者も作者も「お金持ち=外車=フレンチレストラン=ワイン」というステロタイプだけで流してしまったことが良くわかる。まともな子供向けの本にそういう犯罪描写を入れるのは良くないことだ。

それにしても、と以前読んだ風力鉄道に乗ってでも感じたが、主人公を優秀な子供にせざるを得ないのは、児童文学の対象がまともな書籍を自ら読解する能力を持った子供、という現実があるからだというのは理解できるが、(抽象化された世界で多様な価値観を示す風力鉄道と異なり、本書が)本来語り掛けるべき対象(つまり、学問により自由になるべき人間)は、主人公の側ではなく、主人公の塾の友達のほうだし、この本が送るエールは主人公ではなく、主人公の塾の友達のほうで、しかしそれは読者とはなりえないという矛盾だ。まあ、でもそうやって世界は回るんだからしょうがないことだなぁ。


2013-01-22

_ FINもないのにNSStreamEventEndEncountered

ちょっとiOS用にネットワークプログラムを書いていたのだが、どうにも解せない。

NSInputStreamからreadすると0が返ってくることがある。いや、ブロックすべきだろう。と不思議になり、まさかサーバがFINを投げているのかな? とtcpdumpを取ると、0が返って来た後もサーバはバシバシpushして来て、それに堂々とackを返している(シミュレータで実行しているので、OSXのターミナルでtcpdumpが取れるのだ)。

でも、シミュレータの実装がおかしいのかな? と、iPadにダウンロードして試してもやはり途中で止まってしまう。

もしかしてイベントを使わなければならないのかな? と試すと、あっと言う間にNSStreamEventEndEncounteredが通知される。シミュレータで実行すると、これまたサーバは呑気にPUSHして来てOSX側はACKを返している(のが延々とサーバの気が済むまで続く)。

何このアプリケーション置いてきぼりストリーム?

こんなおかしな実装は無いだろう(ドキュメントにもNSStreamEventEndEncounteredは、ストリームのお尻で通知とか書いてある)と思うのだが、どうやってもそうなる。

もしかして同じNSInputStreamオブジェクトにopenメッセ―ジを送るとふたたび元のソケットと結合できるかな? とやってみてもエラーになる。閉じられたから後はcloseメッセージを送るしかないようだ。でも、水面下ではサーバにACKを返しまくっているんだよなぁ。で、closeメッセージを送ると、こちらからFIN立てて送るし、ますますわけわからない(FINを送るってことはソケットはちゃんと抱えているわけだが、しかしストリームは尽きたと判断しているというのがわけわからん)。

もしかして、読み込みバッファがフルになると、ソケットのレイヤーでは特に何もしないけど、アプリケーションのレイヤーでは尽きたと判断するってことかなぁ。とすると、どれだけの速度で読み込まなければならないんだろうか(というか、読み込みバッファのサイズはどれだけ用意されてるんだ? 400バイトくらいなんじゃないかというくらいにあっという間にreadメッセージに0が返ったりEndEncoutneredが返ったりするんだけど、拡大するためのメッセージも見つからないし)。(PUSHに対して何も考えずにACKを返しているソケットより下のレイヤーもおかしい。アプリケーションがバッファを空にするまではACKを返さなければ良いわけじゃん)

こういうのがまさにアップルってことなのかなぁ(と不思議に思うのだが、さてどうすべきなんだろうか)。

(と書いてみたが、もちろんはじめてのiOSプログラミングなので徹底的にこちらの実装が間違っている可能性もあり得る)


2013-01-23

_ 開かれた政府と中国

オライリーがアーロンシュヴァルツ記念としてOpen GovernmentをGithubで公開したのが1月15日。

1月21日に中国がGithubをブロックしたことが観察された。

ということかなぁと思ったら、単なる接続障害だったようだ


2013-01-24

_ アルゴ

jmukさんがちょっとおすすめしていて、Kindle用だったので(グーグル ネット覇者の真実を読了していた)買って読んだ。

アルゴ (ハヤカワノンフィクション文庫)(アントニオ・メンデス)

おもしろかった。外交の不思議さ、国家関係の微妙さ、国家機関の仕組みなどなど、興味深い話が満載のうえに、混乱している国家の中で身動きが取れなくなった人々の不条理な生活とそれを救出するための奇妙なシナリオ作成と実際の救出劇が織り込まれているのでつまらないわけがない。Kindleで読める適当な本を探しているのならお勧めできる。

このてのやつ(ノンフィクションというよりはノンフィクションノベルだと思うが)はKindleで読むのにちょうどいい感じだ(本当のことを言うと、人物が相当出てくるので、途中で誰が誰だかわからなくなりかけたが(Kindleは読み返しができないし、不思議だが検索できる人名とできない人名がある。できる人名はできるから中黒のコード違いとかではなさそうで不思議だけど、おそらく濁点がついた名前の正規化問題ではないかと睨んでいるのだった)でも、どうにかなった)。

カーター大統領の頃、イランでアメリカ大使館占拠-館員人質事件があったのだが(これは知ってる)、その裏でたまたま脱出に成功した6人のアメリカ人がイギリス人やカナダ人に助けられてテヘランに潜伏生活(まるでアンネの日記みたいだが、遥かに好条件ではある)しているのを、CIAが救出するという嘘のような(そして手の内をすべて書くことはあり得ないだろうから、ノンフィクションと言っても荒唐無稽なフェイクと当然のこととして事実が混ぜ合わされた)ノンフィクションを、当の工作員が執筆したという作品だ。

当時はカナダありがとう旋風がアメリカで巻き起こった有名な脱出劇(当時はCIAの工作で脱出したのではなく、カナダ大使館の協力だけで脱出できたと報じられたらしいの)だが、全然そんなことがあったのは知らなかった。それだけにおもしろい。

そもそもアメリカ大使館占拠事件そのものが日本から見ていると不可思議極まりない事件だった。

占拠したのは革命派(ということは、イラン国内でみればゴリゴリの極右勢力ということだ)で、政府とは無関係ということになっているのだが、しかし交渉はイラン政府とアメリカの話であり、しかもイラン政府は交渉の場に立たず、なんだかよくわからないという状況。

・近いのは文革中国かもしれない。政権と無関係に毛沢東がいてその影響下で子供と学生が赤い本を持ってそこらじゅうを破壊したり政府高官を監禁したりしている2重権力による無政府状態と、政権と無関係にホメイニがいてその影響下で学生が米英を攻撃していて政府が機能できないある種の無政府状態。

というわけでまともに交渉できないうえに、大使館を脱出して潜伏しているという状態そのものが不安定きわまりなく(脱出-潜伏しているアメリカ人=スパイ間違いなし=死刑という図式となり得る)いつ破綻するかわからないうえに、カナダも匿っていることが明らかになったときの影響の大きさにビビり始めているので、工作員の登場となる。

読んでいると、主人公であり語り手であり著者ということになっている工作員(ただし当時既にプロジェクトマネージャになっているのだが、失敗時の影響のでかさゆえに、自ら工作しにイランへ潜入する)がCIAのあれこれを説明しているときよりも、カナダ人の家に落ち着くまでの6人の逃避行が圧倒的におもしろい。

おそらく、そこには妙なフェイクが入っていないからストレートなリアリティとそれによる緊迫感があるからだろう。

それに比べて、特に著者が6人と合流すると、突然リアリティがまったく無い言葉遣いによる会話が交わされて妙な感じとなる(脱出そのものはフェイクでもなんでもなく事実のはずだが、翻訳の口調が突然、フィクション化してしまうのだった。翻訳は難しいなあ。ハードボイルド小説なら何も気にならない喋り方なのだが)。

あまり説明がないが、3人だけイラン外務省の中で比較的自由に行動しているアメリカ人外交官が出てきて、これがなんだかさっぱりわからなかった。たまたまイラン外務省にいたので、イラン政府側が大使館を占拠している勢力と無関係に外交ルートを残すために匿っていたと読めば良いのかなぁ。もっとも、3人も6人の脱出が明らかになると不利な状況となる)

もう1つ、この本の中で、さんざんならずもの国家(アメリカ固有の言い回しだ)扱いしているにもかかわらずコントラ問題がこの後で発覚したり、今ににたっても必ずしもアメリカとイランの関係は悪くない(たとえばイラクやリビア、タリバン支配下だったアフガニスタンと比べてみる)点は、地域バランスの問題なのだろうが興味深い。ヒントっぽいことが1回だけ何気なく出ているが、どうも「イランはアラブではない、ペルシャだ」ということらしい(なんだかよくわからないが、人種についての微妙なニュアンスを感じさせる)。

印象的だったのは、カナダ政府が6人のために偽造パスポートを気持ちよく発行してくれるが、CIA用の発行を頼むとあっさりと断るくだり。なんか、とても好感を持った(し、なるほどスパイというのは業の深い難儀な職業だなぁと思う)。


2013-01-26

_ タンホイザーのウォズ

新国立劇場でタンホイザー。

なんか妙に丸っこくてウォズみたいなタンホイザーだなぁと観ているうちに、話の内容までウォズみたいだなぁとか思い始める。

アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝(スティーブ・ウォズニアック)

Apple IIIをあてがっておけばいいやみたいな感じでジョブズから隔離部屋に押し込められているうちに時代が変わりマッキントッシュが主流になっているのも知らずにさらにGSを開発してサイン入れて売り出したり、記憶喪失になったりと、技術の女神と戯れていてふと時代が変わったことに気付きクパチーノの町に飛び出すウォズ。

そこに向うからアップル社員がやってくる。ウォズじゃないですか! どこへ行っていたんですか?

いやちょっとなんというか(まだ記憶喪失が多少残っている)

まあいいから本社へ来てくださいよ! デザインカンパニーとして大復活したんですよ!

はて? デザインとな(と、ウォズ戸惑う)

新しいエレガントな製品がたくさんあるんですよ。

エレガント! それは重要だ(と、ウォズ大いに興味を惹かれてついていく)

そして2幕が始まる。

(ウォズが帰って来たというので製品担当者たちが次々にやってくる)

これを見てください。ボンダイブルーのマックです! とてもおしゃれでUSBなんですよ! ここから復活が始まったんですよ!

おしゃれなにそれ? というかスロットはどこにあるの? 蓋があかないみたいだけど。これ、くずだな。

これを見てください。iPodっていうんですよ! 手持ちのCDが全部入るんですよ。いつでも音楽ですよ!

CDが入るってどんな形式なの? それどうやってファイルとして取り出せばいいの? というかバッテリーが交換できないの? プログラムはどうやってロードすればいいの? これ、くずだな。

これを見てください。新しいiPadはRetinaでCPUは4倍速いんですよ!

これ、どうやってプログラムをロードするの? 直接GPUを操作するためのAPIはどこにあるの? アセンブラが提供されないのはなぜ? というか、OSのソースコードも回路図も付いていないみたいだけど。しかもメモリを増設する方法が書いてないよ? そもそもスロットはどこにあるの? 全然エレガントじゃないよ! これ、くずだな。

これを見てください。iPhoneですよ。電話の常識変えたんですよ。

これ、どうやって外部から電話をかければいいの? Bluetoothしかないの? というか、このコネクタなんだこれゴミだよ。蓋も開かないし、直接ハードウェアを叩くAPIが無いんですけど。これこそくずだな。

ではこれはどうです。新しいMacBookAirは薄くて軽い。でも強くて頼れる。

これも蓋が開かないよ。スロットが無いよ。モニタもついてないよ。ただのくずだよ!

モニタが見えないんですか。たった4.86ミリという薄さに載せたのは、驚くほどの高解像度が付いているじゃないですか!

違う違うよ。モニタってのはそうじゃないよ!

(ついにウォズが歌い出す)お前らみんなテクノロジーの自由を舐めすぎだ。テクノロジーの女神のところへ行け!

なんと、テクノロジーとは! (と居並ぶアップル社員、全員、剣を抜く)ウォズ、デザインの神への反逆者め、追放だ。

いやいや、まだチャンスはある。ジョブズ神のところへ許しを乞いに行くが良い。

なんで僕が許しを乞わなきゃならんのだ?(と、ウォズびっくりするが)まあ貸した金を返してもらいたいし行ってもいいかな。

(3幕)

ウォズ、しょぼくれて途方に暮れている。

どうしたのです、ジョブズ神はなんと言っていましたか?

ビジネスを理解できないテクノロジストは地獄の業火で永遠に焼かれるが良いと言われたよ。訳がわからないよ。

Tannhaeuser/ [DVD] [Import](Wenkoff)

金管がちょっと妙に突っかかるなとか思ったほかは、オーケストラが素晴らしい。

歌手はこれ! という感じではないけど、ヴァルター含めて全員良かったと思う。それだけに2幕の歌合戦が実におもしろくて、こんなにタンホイザーって面白かったっけ? と不思議に感じるくらいに楽しめた。

特にヴォルフラムの人が良くて、一幕最後の登場場面から主役以上に聞かせてくれる。ヴィーナスも印象的。

演出は、特に冒頭が新国立劇場の上下可能な舞台をうまく使っていて、霧の中からにょきにょき何かが生え出してくる(柱になったり森になったり殿堂の壁になったりいろいろ便利っぽくて、影の無い女の柱をちょっと思い出した)のが実に印象的だった。

バレエは女性の髪形がウサギというか初音ミクというかそこばかりが印象的だった(全体に薄暗いところに薄暗い迷彩色のような衣装だが、男女ともにプロポーションを強調していて、それは美しい)。


2013-01-27

_ 文法と文法

こどもがこの文を読めという。

「正しい文が書けるのは文法のおかげです」

読んだ。

おかげって変じゃん、と言う。

どこが? おかげ参りじゃ変じゃないかってこたないなぁ。ええじゃないか。

でも、正しい文は文法とは独立して成立できるから、別におかげってこたないじゃん。(という意味のことをいう)

いや、おれはそうはかんがえない。文法は規範または指標であり、それによって正しいかどうかが決まる。その文が正しいと評価できるのは文法のおかげであり、指標があるから正しく文を書けるがゆえに正しい文が書けるのは正しく文法のおかげだ。

いや、それはおかしい。正しいかどうかの評価基準として文法があることはそれを認める。しかし、書くことに文法は寄与しない。

それは違う。確率的に猿にペンを与えれば、リヤ王が書かれることはあるかも知れぬが、それは偶然であり、ここでの命題とは関係ない。人が正しく文を書けるのは間違いなく文法のおかげである。

いやでも、おかげというのはおかしい。なぜ、文を書くという行動に対して文法の強制による正邪の判断が必要なのか?

それは文法の意義を正しく捉えていない。規範とは言うなればお猿電車のレールである。文法があるがゆえに、そこにある契約書やここにある連絡事項やこの法律を、教育を受けることで等しく記述でき等しく解釈できることが保証できる。まさにお猿でも電車を運転できるのがレールのおかげであるのと同じことである。

納得いかないからもういいや。おかげなんてごめんこうむる。

本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ arton [あと、おれは文法も法のうちだと思っているし、それなりに安全に暮らせるのが法治によるように、人間がバベルの塔に住まなく..]

_ klm [じぶんの外部にある(言語学者なりによって)記述された文法なのか、脳内に組み込まれた言語生成装置の法則性としての文法な..]

_ arton [それですね。卵と鶏の関係や、文法が法として成立する前の文章(例えば源氏物語)などいろいろ検討したので、自己の内なる文..]


2013-01-28

_ iTunesのバックアップ

iTunesでリッピングした曲はMacBookProで管理しているが、150GB近くになっているし、このままではDLNAで吸い込むのも難儀だし(MacBookProはそれほど火を入れないから)、何よりも潰れた時が怖い(Timemachineでバックアップしているが、これはこれで個々の曲が読み取れるわけではないのでちょっと別)。

というわけで、ReadyNASでバックアップ(かつDLNAで公開)しようとしたのだが、いまいちうまくいかない。ReadyNASにはバックアップJOBという機能があって、これを使うと定時に時刻かアーカイブビットのいずれかを見てリモートホストの指定ディレクトリから差分バックアップを吸い上げてくれるらしいのだが、cifsでアクセスしようとしてOSXに弾かれる(ログを見てもいまひとつ理由がわからない)。

NETGEAR ReadyNAS Duov2 【3年保証】 2ベイ デスクトップ型NAS(ベアボーン) RND2000-200AJS(-)

で、面倒になって自分でバックアップ用のプログラムを作った(Windowsならupdate.exeを使えば良いというのはわかるのだが、あいにくOSXでは何を使えばうまいこと更新日付ベースの差分コピーができるかわからなかった)。

が、なんか不格好だし時間もかかる。というわけで公開して添削を求めてみたり。

diffcp

  • Music/iTtunesの下を丸ごとバックアップする。
  • コピー元で削除したディレクトリはバックアップ先からも削除([cd1][cd2]をまとめたりすることがあるので、ディレクトリ削除は普通にあり得る)
  • 別にライブラリとして利用しようとはしていないので、module名は適当だしトップレベルをif $0 == __FILE__で囲ったりはしていない。
  • 良くわからないが、mount_afpしたマウントポイントをumountするとディレクトリが削除されるので、いちいちmkdirしている。

_ 研究社版シェイクスピア

Kindle版の段組みがおかしい(改行がほとんどなく、だらだらとつながって表示される)が、しょせんKindle版だからだろうとあきらめていたが、ヴェニスの商人はまともだった。

ヴェニスの商人 研究社シェイクスピア・コレクション(ウィリアム・シェイクスピア)

大場訳はくだらない地口もまじめに翻訳しているし、リズミカルで伝法でいかにもシェイクスピアっぽくて(本人を知らないけど、イメージ通りの劇場言語)好きなので、まともな段組みで出品できるのなら、他のも修正すべきだろ。

ということで、アマゾンにサポート依頼メールを投げたが、なんだかいまひとつわかりにくい(アカウントサービス-Kindle-端末を選択-コンテンツの文字化け(文字化けじゃないよなぁ。一番近いのは0x20や0x0dとかが、HTMLで無視されている状態)。さてどうなるのだろうか。


2013-01-29

_ FINもないのにNSStreamEventEndEncouteredの続き

なぜかNSInputStreamが0を返すので、いろいろ試しているうちにこうすれば正しく処理できるという方法がわかったのでメモ。

元々サーバは次のような形式でデータを垂れ流す(簡略化している)。

|長さ(2)|データ|長さ(2)|データ|....

そこで、単純に処理することを考える。

uint8_t lenbuff[2];
uint8_t databuff[256]; // 仮に1データは最大256バイトとする
if ([istream read:lenbuff maxlength:2] != 2) エラー;
int len = lenbuff[0] * 256 + lenbuff[1];
if ([istream read:databuff maxlength:len) != len) エラー;

このようにすることで、簡単に同期読み込みでは0が返ってくるし、非同期(というのとはちょっと違う気がするがイベントベースの)読み込みではNSStreamEventEndEncouteredが通知される。

予測通り、読み込みバッファのあふれが原因と考えられる。

正しい読み方は読めるだけとにかく読む。そして読み込んだバッファ内で尺取虫する。それですべて解決した。でも、NSLogとってみてみると、それまでのread回数が6×2に対して1程度にしか減っていない。

(メモリが少ないので、カーネルメモリとユーザメモリの2つのバッファのみで済まそうとして、read呼び出しの都度モード切替の巨大なオーバーヘッドがかかる(なので1/12に減るだけで極度にスループットの向上となる)という解釈でいいのかなぁ)


2013-01-31

_ flyweightパターンの恐怖

誰でもはまることらしいがUITableViewCellのぶかっこうなflyweightパターンに引っかかった(細かなオブジェクトを常に生成するのではなく再利用することで生成量を抑えるのだからflyweightで良いのだろうけど、C++のnewと違って、dequeueReusableCellWithIdentifierという名前が既に不恰好だ)。

UITableViewCell *cell = [tableView dequeueReusableCellWithIdentifier:@"MyIdentifier"];
UISwitch sw = (UISwitch *)[cell viewWithTag:1];
sw.on = somecondition;
sw.tag = indexPath.row;

そりゃ死ぬだろうと、落ち着いて考えればわかるが、それでも最初はなんで死ぬのかわからず閉口した。

tagを使いたいんだからoutletにしてアクセスする


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