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日々の破片

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2023-03-05

_ フェドーラ

メトライブビューイングでフェドーラ。

曲は1回CDで聴いたことはあるが、舞台を見るのはこれが初めて。

1幕の舞台はサンクトペテルスブルクで瞬間的に美しい序曲の後いきなり始まる。だらけた家令たちが騒然とすると皇女フェドーラが入ってくるなり婚約者の行方を尋ねる。わけがわからないまま、血まみれの婚約者が抱えられてやって来るなり後ろの部屋へ入る。

一緒に来た警部があの女は何者かと尋ねる。皇女フェドーラだ。

順に聴き取りが行われる。馬車の御者がいかにもロシア風の歌を歌う。

のだが、まったくおもしろくない。なんだこれ?

そうこうするうちに、どうやら老婆がいる家に婚約者が行き、そこで銃声が2発聞こえ(これが実は伏線となっているとはまったく思いもしない)血まみれで倒れていたという話となる。

さらに警部が聞き込みを続けるうちに、どうやら容疑者としてロリスという男が浮かび上がる。

2幕。いきなりワルツでなんじゃいと思うと、舞台はパリのどこかのサロン。伯爵夫人とシリエというのがほとんど主役なのだが、ところどころフェドーラとロリスの会話が挟まる。シリエが自分を無視してショパンの後継者と呼ぶピアニストといつも一緒にいるもので怒って伯爵夫人をコサック女と呼ぶ。それを伯爵夫人が聞きとがめる。シリエはチャルダッシュでいかにロシア女が素晴らしいかを歌う。おもしろいがなんじゃこりゃ感はまったく消えない。それのお返しに伯爵夫人がフランスの伊達男について歌う。

ピアニストが演奏を始める。と、フェドーラとロリスの歌となる。ここはおもしろい。オペラなのに、唐突にピアノ演奏と歌になる。というか、このパターンはレオンカバッロのザザでもあったな。ベリズモの1つのパターンなのかな。(オーケストレーションをさぼれるから大量にオペラを作るのに便利な手法なのかも)

そして美しい間奏曲が来る。おお、ジョルダーノだ。

そしてロリスが愛の歌を歌う。素晴らしい。そして2重唱となる。ロリスは自分が婚約者殺しの犯人だが、事情がある。その事情の証拠を後で持って行くと約して去る。

ロリスが婚約者を殺したことを知ったフェドーラは家に帰ると告発の手紙を書く……って、アンドレアシェニエみたいだな、そして秘密警察に手紙を渡し、ロリスの誘拐を命じる。セーヌ河に浮かぶ船に連れ込めばそこはロシアだから後は好きにできる。

というところにロリス登場。婚約者が自分の妻に対して差し出した写真と密会の約束の手紙を示す。動揺するフェドーラ。先に発砲したのは婚約者で、ロリスが撃ち返したら当たり所が悪かったと知る。じゃあしょうがない。帰ろうとするロリスを引き留める(庭には密偵たちが誘拐しようと待ち構えているからだ)。そして二人でソファーに倒れこむ。

前半は楽しく、後半は美しい。この幕はおもしろい。

幕間インタビューでデシリエ役のミーチェムが、ラ・ボエームみたいだろ。デシリエと伯爵夫人がマルチェッロとムゼッタ、フェドーラとロリスがミミとロドルフォだ。確かにそうだ。

3幕はスイスの山が見えるフェドーラの別荘。伯爵夫人が退屈している。自転車に乗ったら? とフェドーラが言うと、恋人がいれば自転車が倒れて起こしてもらってあらうふふかも知れないけど、一人じゃね。そこにデシリエが自転車に乗って登場。二人、仲良く自転車で去る。

牧童の歌をバンドネオン(かな?)伴奏で流す。スイスっぽくやっている。

安全型自転車が出たのが1888年のことだから、最新式のおしゃれな人たちの楽しみなんだろうな。

一方、密偵がフェドーラの元に来る。警視総監の更迭とその理由となった無実のロリスの兄の投獄と獄死、それを聞いたロリスの母親の死について報告する。婚約者は警視総監の息子だったので、犯人を捕まえようと暴虐無尽を働いて更迭されたのだった。

そこにロリス登場。兄からも母からも手紙が来ないと嘆く。そこに電報が届く(当時の最新式のメッセージングだ)。おれの正当防衛が認められた! 一方、詳細を書いた手紙も届く。謎の女がいわれのない密告で自分(おれが殺したのは事実だからそれはしょうがないとして)の共犯として兄を指名したので獄死につながったんだ。謎の女の正体を暴いて殺す。

フェドーラが青ざめる。その女を許すことはないの? 一切ない。

フェドーラは絶望して毒を仰ぐ。ロリス、フェドーラを抱きかかえて許す。

(2幕、3幕とも、ご当地音楽→掛け合い漫才→激情の二重唱という序破急パターン。1幕も実はそうだったのかな)

確か村上龍だと思ったが、処女作はそれまでの作家の全人生が投影される。2作目以降は作品の間隔分の人生だけが投影される(=処女作以外はだめだよね)とか書いていたのをなんとなく思い出す。

が、パターン化させて上質の音楽をぶっきらぼうに作りまくったと考えると、フェドーラもそれなりの良作ではあった。(どうにもアンドレアシェニエが素晴らしすぎる)

ロリスのベチャワは顔が四角いだけあってどうも固い。うまいとは思うがイタリアオペラでおれが聞きたい声ではない。が、演技まで含めると良い歌手なのだな。

ヨンチェバは曲のせいもあって、2幕の途中まではなんかうっとおしいなぁと思っていたのだが、2幕後半からのここは見せ場となってからは凄まじい。大声を張り上げるところでも怒鳴りも喚きも震えもしない。単に良い声が大声で伸びてくる。3幕の半狂乱になって許してあげるよね? 死にますまでの大騒ぎもすばらしい説得力。というか、ジョルダーノが調子に乗ってオーケストラも盛り上げるのだが、それにまったく負けないのだから凄まじい。

マクヴィカーはいつものメトのきれいなマクヴィカーだが、20世紀初頭(19世紀末)のコスプレ演出。自転車などの小物をうまく使っていると思う。婚約者の亡霊(特に2幕中盤ではフェドーラと踊る)は、そもそもこの男の好き心(とはいえ、ロリスの説明によればロリスの母親は問題のある女だと見抜いていたらしい、というか独身の良い男が家にいるのに、なぜその女を読書する女として雇ったんだとかはご都合主義だな)といきなりの発砲沙汰が招いた事案だけに、なんでこいつを出すんだ感はある。

相当満足した。


2023-03-11

_ 太平洋序曲(パシフィックオーバーチュアズ)

日生劇場でパシフィックオーバーチュアズ。

この作品はおれにとっては生涯で初めて最初から最後まできちんと通しで観たミュージカルという点から特別な思い入れがある。だから、当時の邦題のパシフィックオーバーチュアズのほうがしっくりとくる。

時は70年代中頃、ミュージカルはブロードウェイの劇場と宝塚歌劇場はともかく、映画の世界ではジャックドゥミー以外は誰も作ろうともせず(作ってもベルサイユのバラのように大ゴケするものと相場が決まっている)まだザッツエンターテインメントによる復興もなされていない時代で、ほとんど誰もが興味を欠片も持っていない頃だ。

アメリカ建国200年記念を飾る作品だということだからか、それとも日系人のマコ岩松の当地での奮闘っぷりを紹介したかったからか、とにかく日本でもテレビで全曲放映が行われたのだった。

すごくおもしろかった。抜群だ。が、今となってはほとんど覚えていなくて、イベントとして記憶しているだけだった。

それで実に楽しみに観に行ったのだった。

開幕(というか、幕は上がりっぱなしで始まるけど)するやいなや、おれが最後まで楽しんで観られた理由も、きれいさっぱり忘れていた理由も思い出した(観ているうちに、エピソードを思い出す場所が無いわけでもない)。

ソンドハイムの作った曲がミュージカル文法よりもオペラ文法に近いからだ。ミュージカルは観たことはなくとも、ヴォツェックや青髭のような20世紀オペラを聞き慣れていたおれには、実にしっくり来たのだったな。覚えていないのは、いわゆる「メロディー」がほとんどないからだ。

ソンドハイムって妙な作曲家だ。どちらかというとルーツはヴァレーズの塊音やバルトークの雑踏や夜の音楽にあるのではないか? (というか、バーンスタインの影武者でもあるから、ニューヨーク都会音楽派とでも呼ぶべきか)

最初に頭の中で行われた音楽類型のパターンマッチング(音楽を聴くとき自然に行われる)で出てきたのは「アルマゲドンの夢」だった(つまりは20世紀以降のオペラだ)。それに続くのがヴァレーズのアルカナやバルトークの不思議なマンダリンの冒頭で、最後にイン・ザ・タウンやクール(の途中のナイフシュッシュのグリサンド群)といったバーンスタイン作品だ。

(とはいえ、今となっては、send in the clownsのような美しい曲も作れることは知っている)

それにしても歌手群は素晴らしい。これだけ不協和音と変拍子、シュプレヒシュティンメに近い歌をきちんとこなして、しかも舞台作品として実に自然に歌う。赤い火を噴く黒い龍の歌など実に楽しい。もっとも作曲家本人のお気に入りらしい木の上からおれは見たはあまりに長いうえに、おれの嫌いな人たちの好きではない言葉が延々と続く嫌な歌なので、うんざりした。一方、米、英、蘭、露、仏の軍艦が大暴れする歌は楽しくて好きだ。

元の作品を相当カットした短縮版のようだが、大きな流れは記憶の奥底とあまり変わらない。

浦賀奉行の香山とジョン万次郎が協同してペリーに対応する。ここでのジョン万次郎が居丈高に出てペリーを交渉の場に引っ張り出す(その術を香山に教える)あたりはオリジナル舞台では自虐ギャグとして爆笑を誘ったのではないだろうか。

しかし、米国と条約を結んだことで次々と他の国が不平等な通商条約を結びに来る。この作品というかこの上演では、特にロシアが治外法権を騒ぎ立てる悪役となり、緊張緩和というキーワードを連発するフランスが不可思議な位置にある。おそらくデタントは70年代中期ならではのキーワードだろうが、今となっては意味不明ではなかろうか。

香山は交渉をし続けるうちにどんどん欧化する。一方のジョン万次郎はどんどん侍化する。この場面の歌(香山が歌う)は良い。

ジョン万次郎は剣の達人となり、将軍(開幕時の設定のままなので13代将軍なのですでにパラレルワールドである)と香山を切り捨てる。

人形の天皇(開幕時は一歳と設定されている)が語り部に取って代わられ、明治天皇として韓国、台湾、満州を侵略し(という生な言い方ではなく、同じことを彼らに対して行うというわけだが)、不平等条約を解消して、太平洋を支配することを宣言して終結する。

現実の世界では太平洋を支配(幾分かは第一次世界大戦でのドイツの失敗によるわけだが)した後、アメリカに占領されてからの再独立といった厄介なことになり、しかしこの作品の70年代中期以降、経済的に太平洋のみならず世界支配をほぼ手中にして、しかし再度厄介なことになり、はて今はどういう時期なのか? というところが興味津々。ここからの再興期なのか。

それにしても建国200年を記念して自分たちが厄介な敵を解き放ったことをテーマにしたミュージカルを作るとは、アメリカは本当に底知れないところがある。


2023-03-19

_ noteにシベリア鉄道の記憶を書いてみた

北朝鮮に鉄道マニア34人で押しかけた話」がおもしろかったので、ふと思い立って1982年、大学生の頃にシベリア鉄道に乗ってユーラシア大陸横断したときのことをfacebookに書き出してみた。異様に鮮明に覚えていることと完璧に忘却の彼方に散ってしまったこと(なぜか特に食事だ)があって記憶の妙がおもしろい。

書いてみるとそれなりに反応があったのでまとめてみる気になった。

結構な長さ(14000字、原稿用紙にして35枚くらいだ)なのでnoteを使ってみようと思った。還暦子育て日記(の前のやつ)とか読みたくてnoteにアカウントを作ったのを思い出したからだ。

というわけでソ連旅行記だ。この中に出てくるソ連や東ドイツは既に存在しない。かたやロシアでかたやドイツだ。しかし国は存在しないが場所も人も存在する。

_ 新国立劇場のホフマン物語

新国立劇場のアルロー版は多分3~4回目だが、今回は席(3階中央最前列)のせいか全体の俯瞰っぷりと字幕の読みやすさから、妙に物語の構造がはっきりわかった。ホフマンという詩人が出待ちの間に歌劇場のカフェで学生相手に3つの恋話をするが、議員の陰謀により出待ちの相手に去られて自殺するという実に妙な物語なのだが、3つの恋話とそれぞれに出現しては恋を破綻させる悪魔、常にホフマンにつきまとう詩神の関係が妙にくっきりと浮かび上がった。

偏にはホフマン役のカパルボの歌と立ち居振る舞いが抜群だというのがあるのだろう。女声陣ではオランピアの安井陽子の超絶技巧が目立ったが、アントニア(歌的には最も好きなキジバトの歌を歌う)がちょっと弱いかなぁ(その分、普段は半分寝てしまう使用人の歌が実に楽しめた)くらいでいずれもばっちりだった。

要は芸術と現実についての考察が、物語なのだった。

詩神は恋愛に現を抜かして詩作をさぼる(現実を生きて芸術を放棄している)ホフマンを現実世界の恋愛から引き剝がして芸術の世界に連れ戻そうと画策する。

ホフマンの3つの物語は、それぞれ芸術の一つの側面をテーマにしている。

オランピア: 人工物に生命を吹き込む物語。悪魔は人工物に生命があるかのように見えるレンズをホフマンに与える

アントニア: 芸術のために生命を賭ける物語。悪魔は表現のためなら死をも厭わない姿をホフマンに見せる

ジュリエッタ: 芸術作品は芸術家の鏡像という物語。悪魔は自らの写し絵を求める(のだが、未完の最たるパートなので詰めが甘くどうにもとっちらかっている。しかし悪魔の手先であるジュリエッタとの舟歌の二重奏が示すように、実際には詩神と悪魔は表裏の関係にある)

ステラ: 上記3つの芸術の各側面を体現している現実の女性なので、セリフ上、オランピアでありアントニアでありジュリエッタであるとされる。

ところが冒頭でステラの鍵は現実の権力者である議員に奪われている。現実ではホフマンは何も得ることができない。かくして彼は現実での死を選択する。

詩神は芸術の勝利を歌う。

これまでのホフマン物語の中で最高におもしろかった。


2023-03-25

_ ハーフオブイット

妻のお勧めのハーフオブイットをNetflixで観た。

アメリカの田舎町になぜか暮らす中国人父娘。喋るのは苦手だが文筆は得意な娘はクラスメートの代筆(宿題のレポートとか)でやりくりしている。父親は英語の勉強のためと称してテレビで映画を観まくっているのだが、最初に観ているカサブランカはともかく、次がベルリン天使の詩でドイツ映画、最後の方ではチャップリンの街の灯で無声映画と無茶苦茶である。

無職かと思ったら駅長として駅舎に暮らしていることがわかるのだがそれにしては電気代を滞納していたりして経済状況は謎に包まれている。

学校の先生は彼女の理解者で、今回のレポートでは6種類の解釈いずれも素晴らしかった(代筆はばれている)都市の大学へ行けと勧めてくれるが父親のこともありハイとは言えない(地元大学なら無償奨学金が得られるからと言うようなことを言っていた)。

電気代の督促が逼迫したときに向かいのレストランの四男坊にラブレターの代筆を頼まれる。

乗り気ではないがやっているうちに彼女は相手の女性(神父の娘)の知性に惹かれていく。一方四男坊は彼女たちについていくために努力する(努力の成果(見当違いだったりもする)の可視化がいろいろ上手い)。更には中国娘と四男坊はお互いの理解も進み学芸会では抜群のコンビネーションも見せる。

が、人間は複雑であり愛は難しく大胆でもある。

抜群におもしろかった。

この作品が映画として実によいのは、シーンとシーンの有機的な結合にある。脚本も練られている。

たとえば学芸会のシーンは以下のようにつながる。

映画の冒頭で車で通学する連中から、自転車で通学する彼女はチューチューとバカにされる。

このシーンは何度も繰り返されるが、一緒に歩いていた四男坊がそれに対して本気で怒るシーンが挟まる。四男坊とは人間と人間としての繋がりができているからだ。

彼女が学内で孤立しているのはそれ以外にも廊下を歩くシーンで何度も表現される。まるで空気のようにいないように扱われている彼女に対して最初に人間として存在を認めたのが神父の娘で、そこで初めて文学についてまともに話し合える人間の存在を彼女は知ったわけなのだった(おれはこの時点で恋に落ちたとは考えないが、多くの4行解説ではそうではない書き方をしている)。

同じく繰り返されるシーンに、夜中に四男坊がゴミ出しをするシーンがある。

そのうちの1回に、四男坊がゴミ出しをしていると、駅舎の窓の向こうで彼女が弾き語りで自作曲を作っているのを見上げて聞きほれるシーンがある。

学芸会で彼女の直前の演目はクラス(学内で)No.1の座についている神父の娘のステディ(アメリカの学園ものだからそういうのだろうな)の派手なロックバンドで場内を大興奮させている。

そこに、一人で演奏するためにピアノを押して彼女が出てくる。重くてなかなかステージの真ん中に寄せられないため時間がかかり場内がしらける。

四男坊は心配になって舞台袖から彼女を見守る。

やっと彼女の演奏が始まるが、(多分)ベートーヴェンのソナタなので場内のしらけっぷりが半端ではなくなってくるし、彼女はそれを感じ取るため緊張の度合いが異様に高まる。

四男坊はますます心配になって舞台袖から彼女を見守る。

と、ビヨーンという弦の外れた音が挟まる(おそらく誰も使わないのでピアノはホンキートンクになっている)。場内の観客はそれにまったく気づかない(くらいに曲に関心がない)。が、彼女はますますあせりまくって最終的に手が止まる。

場内のしらけっぷりは最高潮に達して帰れコールが出始める。

彼女が帰ろうとすると足元に何かが当たる。ギターだ。押されてきた方向を見ると四男坊が君の曲を演奏しろと言う。

彼女はギターを拾い上げて弾きだす。

帰れコールしようとしていた連中が一応黙って聞き始める。

イントロが長くて観ているこちらがうんざりし始めてくる(当然、観客も同じだろう)頃に、彼女が人生と旅についての歌を歌いだす。観客たちは真剣に聞き始める。

まだ作りかけの曲なのであっさりと終わる。

拍手。

彼女は終わったあと、いつも通りで一人で自転車で帰路につこうとする。

そこに車が止まり、打ち上げに出ろと半ば強引に引っ張られていく。

パーティー会場で四男坊が心配になって彼女をさがすと、他の連中と打ち解けている。

(この後はほとんど学内のシーンはないのだが、彼女が仲間として認められたことは明らかだ)

酔っ払った彼女が不幸なことにならないように、四男坊は家に連れ帰るが遅いので、自分のベッドに寝かせてやる。

朝、神父の娘が彼の家に来てベッドに寝ている彼女に気付く(前に、彼が用意した二日酔いの薬(だと思われる)を口に含んだところで窓の外から彼女の声が聞こえて思わず吹き出す)。

こういった一連の流れが実にスムーズに映画として構成されている。

彼女と四男坊が自転車とランニングで並走するシーンも何度も繰り返される。中盤、四男坊はらくらく並走できるようになる。それがフットボールで生かされまくる。こういったコミカルな演出にも活用される。

と、映画として説明はシーンによって示される。

彼女の父親と母親の関係は曖昧なままにされる。

彼女が5歳のときに死んだということになっている。少なくとも彼女は四男坊にそう語る。

ギターケースの裏に母親と子供の自分の写真が貼ってある。

終盤になって父親は、先生が勧める大都市の大学へ進学して良いと言う。この町にくすぶっている必要はない。お前の母親のように。

死ねってこと? と彼女は問いかける。

もちろん違うよ。と父親は話を打ち切る。

父親がテレビで観ている映画は物語と巧妙にシンクロさせている。

カサブランカは、最後の警察署長とリックが去る姿が映る。ラマルセイユーズが流れる。

これは第三者を介した友情と別れの物語だ。

(これは題がわからない)では汽車を使った別離のシーン、それもお定まりの去る列車を追いかけるシーンが流れる。

ベルリン天使の歌は、人間の眼には見えない天使が人間のために孤軍奮闘する物語で、ラブレターの代筆をして四男坊と神父の娘をとりもとうとしながら神父の娘に惹かれていく彼女に重なる。

街の灯は、謎の紳士から援助を受けて手術をして眼が見えるようになる娘が、最後、浮浪者に金を与えようと手を握って、その感触から誰が自分を援助していたのかを悟る物語だ。

ところで彼女が自分が神父の娘に肉体的な意味での愛を感じるようになるのは温泉浴のシーンからだとおれは読んだ(大抵の4行の宣伝文では最初からということになっている)。それまでは冒頭の落とした持ち物を拾っている間の文学談義、それから代筆のラブレターによるやり取りだけで、肉体を意識はしていないはずだ。たとえば、教師に対して、私は相手を見つけたというようなことを話すときの相手という言葉の意味は、文学批評などを語り合える相手というカマラードの意味しかないと考えられる。

ところが温泉浴のシーンでは明らかな目線で神父の娘の胸をカメラが舐める。一方神父の娘はまったくその気がない(あくまでも男の話以外の話ができるカマラードとしてつきあう)のは、彼女を映すカメラの目線で明らかだ。

筆触というキーワードの使い方。

考えれば考えるほどおもしろい。


2023-03-26

_ ムーンエイジ・デイドリーム

六本木のTOHOシネマズでムーンエイジ・デイドリーム。

ハロースペースボーイ(というかアースリング時代というか)はそれほど好きな曲でもなかったのだが、音がバシバシきまって実に気分良い。わざわざ電車を乗り継いでドルビーアトモスの劇場に行った甲斐があった。

ワイルドアイデボーイやすべての若き野郎どもにびっくりする。CDでちまちま聴くのと違って圧倒的だ。ベルベットゴールドマインを作ったやつの気持ちがわかった気がした。なるほど、この時期のボウイをリアルタイムで体験したら、レッツダンスに砂をかけたくもなるのだろう。

ロックンロールウィズミーでは声がすっかりだめになっていて衝撃的だった。以前、アメリカ時代にタバコと酒とドラッグで喉をつぶしたというような記事を読んだが、なるほどこれはひどい。アルバムでは(続くのがステーショントゥステーションだろう)全然まともになっているが、それにしても驚いた。

ベルリン時代はNHKだと思うがワルシャワのライブ(カルロスアロマーが指揮する)や日本の宝焼酎のCMが入る。が、なんといってもV2シュナイダーがかっこいい。それ以上にリミックスされたサウンドアンドヴィジョンが凄い音でぶっ飛んだ。良い音の劇場を選んでよかった。ヒーローズの舞台ではエイドリアンブリューが独特な弾き方をしていて、エイドリアンブリューという名前を思い出した。

ベルリンの3枚では儲からなかったとインタビューに応える。

それにしてもget things doneと言って、モダンラブとレッツダンスを作ってしまうのが凄い。

兄の影響を語るところでメインではないカルチャーとして壁にピン止めされた事物が映る。そこにオスカーワイルドがあって、英国ではサブカルに分類されるのかとちょっとおもしろかった(こちらでは幸福の王子のせいか普通に児童文学のメインストリームだ)。

結婚の話のところではトップハットが映る。ワンダフルなのだろう。バックはワードオンアウイング(イントロがジーザスクライストスーパースターの引用に聴こえる)

ムーンエイジ・デイドリーム~月世界の白昼夢~ サウンドトラック (特典なし)(デヴィッド・ボウイ)


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