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日々の破片

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2019-02-02

_ 新国立劇場のタンホイザー

新国立劇場でタンホイザー。どえらくおもしろかった。

この演出は少なくとも1回は観ているはずなのだが、冒頭の樹がにょきにょき生えてくる情景くらいしか覚えてなくて前回はどうだったかな? と見返すとウァズニャックの漫談とか全然関係ないこと書いているが、やはりおもしろかったようだ。それにしても覚えてないな。

フィッシュの指揮はのると遅くなるタイプなのか予定時間がどんどん伸びたが、聴いている限りとても良い。東京交響楽団も立派だ(ドイツだけど読売ではないんだな)。

ケールはちょっと鼻にかかる感じのテノールでそれほど良いとは思わなかったが、リエネ・キンチャのエリザベートと、アレクサンドラ・ペーターザマーのヴェヌスは素晴らしいのではなかろうか。ヘルマンが朗々たる歌声であれ? 妻屋じゃないのかと思ったら妻屋で指揮のバランスが抜群なのか、位置(3階中央4列目)が音響的にはとても良いのか、とにかく感心しまくる。この人がだめだと2幕3幕が話にならないヴォルフラムはローマン・トレーケルという人でこれまた良い。

指揮、演出、歌手=役者(結構、棒立ち説明みたいなのが多い曲なので歌手としてはもちろん役者の能力が求められる作品だと思う。CDで聴いていると耐え難く退屈なわけだ)が良くて、合唱が飛び切り良い(巡礼もよいが、最後の女声による天使昇天の美しさがとんでもなく素晴らしかった)ので、楽しめないわけがない。

13世紀の話なので、例によってエリザベートとタンホイザーが13~14歳、ヘルマンが29歳、ヴォルフラムはちょっと年長で17歳、ヴァルターとかも14歳と考えるとしっくり来る。

結局タンホイザーは傲慢なのではなく子供そのものなのだ。

それに比べてヴォルフラムは弟分のようなタンホイザーというかハインリヒが可愛くてしょうがない。自分ができなかった14歳時代を謳歌しているからだ(ここで嫉妬しないで可愛くてしょうがないところが、ヴォルフラムの最大の美点だ)。

それで、泉を眺めるだけで良しとしようと歌うのに、ハインリヒはその心をまったく無視して(というか子供だからまったくわからないわけだ)馬鹿じゃねぇか、泉は飲むためにあるんだぜと歌うし、エリザベートはさっさと飲んでくれと演技する(らしいがそれは観ていなかった。いずれにしても3幕ではちょっとわたしもいけないことを考えたけど神様許してとか歌うので、というかヘルマンがものわかりが良くて本来なら良かったのが、タンホイザーが羽目を外し過ぎたのが悲劇の元)。普通だったらヴォルフラムはむかつくと思うのだが、この男はそれを大して気にもしないのだから実に立派な大人だな。

それ以外のヴァルターだのビーテロルフだのは才能がない子供に過ぎないのではなから相手にもならない(このあたりのタンホイザーの批評の歌の作り方はワーグナーの文才が走りまくっていて実におもしろい)。

それにしてもパルジファルのグルネマンツとかタンホイザーのヴォルフラムといった重要な第三者視点のナレーターを入れる作劇法はおもしろい。ちょっとニコラスレイみたいだ。


2019-02-09

_ 500年の航海

友人に誘われてイメージフォーラムで500年の航海。監督はキドラットタヒミックというフィリピンのアーティストで僕は完全に初耳初見だが、悪夢の香りという作品で80年代には知れ渡っていたそうだ。知らんかったな。

で、160分という長尺ものでびびったが、抜群におもしろくて驚いた。世界は本当に広いもんだ。160分の中は2つに分かれていて90分くらいの作品と、ほぼ同尺のディレクターズカットで構成される。

エンドロールが出た後に、いきなり作家本人が出てきて、きみたちディレクターズカットを観たいだろ? 特にラストがいいんだぜ、とか言いながら観点を変えて(というかメタデータをつけながら)ディレクターズカットが始まる。これがまた抜群におもしろい。確かにおもしろい作品は2回観た方がよりおもしろい。

_ 500年の航海続き

物語は世界で最初に世界一周を成し遂げた男エンリケの帰還で始まる。

帰路、猪がやってくることがわかり樹の上に逃げる。そこに張りぼての猪が出てきて樹を倒そうとする。

エンリケはフィリピン発祥の武器と17世紀のフランスの文献で紹介されているヨーヨーを使って猪を倒す。

このシーケンスの圧倒的な映像(タヒミック本人が演じているらしい樹上のエンリケとちゃちな張りぼての猪を切り替えてヨーヨーするだけなのだが、べらぼうにおもしろいのであって、凄まじいSFXというような意味ではない)にまず驚嘆した。すげぇおもしろい。

その後、山岳民族であるエンリケが毛布を追っかけて崖から落ちたところを海賊に捕まりマラッカの中国人の老婆に売られて、皿を割って折檻されて箱に隠れたところをマゼランに見つかり箱ごと買われるところから彼の世界一周が始まる。ディレクターズカット版だと毛布をパラシュートのようにしてエンリケが飛んでいるとんでもなくばかばかしい絵を見せてこちらもおもしろいが、本編の単に崖を映してナレーションだけで済ませるほうがそれっぽい。

マゼランは金がないので、木彫り技術をものしているエンリケを修道士に貸し出す。聡明なエンリケは修道士に教えられて鼻をアジア風からギリシャ風に彫ることをすぐにものする。さらには、免罪符を売るための見世物になったり、ボッスの絵の白人の美女を誘惑する茶色い獣のモデルになったりする。というあたりで、現実が超していく。

エンリケと王女の醜聞を恐れたカルロス1世によってマゼランは世界一周の資金を手に入れる。

マゼラン海峡はいまは35時間で航行できるが、マゼランたちは99日もかかった。このときものを言ったのはエンリケの望郷の念から来る方向感覚の正しさだ。世界で最初の人間GPSである。

ついにある島でエンリケはマゼランに言う。

だんな、おれはここの連中が何をしゃべっているか理解できる!

おお、やったなエンリケ。つまりお前は世界を一周したのだ!

マゼランは自分の死後はエンリケを自由にするという遺書を作る。

竹を使った楽器で悪いマゼラン一行を追い払おうとする半シャーマンのラプラプは音楽攻撃が通用しないとわかると戦闘に突入する。

マゼランは聖セバスティアンのように死ぬ。エンリケは故郷へ向かい、村人に歓待される。宴は世界一周を祝うのではなく、母が息子と再会できたためであった。

エンリケは文字が書けないので記録を彫刻に残す。

一方、記録係のピガフェッタは航海記を売るために努力する。

その家には世界中から集められたさまざまなもので埋められている。

エンリケの庭には世界中から集められたさまざまなもので埋められている。家の中にステンドグラスの1部がある。

その1部を外したステンドグラスがピガフェッタの家にある(かな? 顔の部分が抜けたステンドグラスも映像モティーフとして繰り返し出てくる)。

竹寺。

鉱山法に反対するデモ。警官隊に対して抗議の意味を説明するタヒミック。

海岸で石を拾っていると突然の眩暈で倒れる。山岳には石で彫刻を作る人と、樹で彫刻を作る人がいるのだ(と、後でわかる。なんで石を拾っているのかと思ったけど、実際は単に海岸で何をするか、石を拾うかと現実を超克したのだろう)。

それを見つけた白人の写真家が助けに行く。

棚田の道を狭い歩幅で帰る。(青々とした棚田のときと、収穫後の棚田のときの2回)

この老人を探したい。アーティストの集まりに向かう。英語で話しかけられて、おれもフィリッピン人だよ、なんだそうなのか。ビンロウを噛む。紅くならないように注意。

夫婦で言葉が違うので子供にそれぞれの言葉を教える。パチンチンという言葉があまりにもパチンチンでおもしろい。

人種のるつぼっぷりにびっくりした。これまで見たことがあるフィリッピンの人たちがわりと南方諸島の人っぽいので、そういうものだと思っていたら、東アジア系から白人そのものまでなんでもありなんだな。

いよいよ写真家は老人の居場所を突き止める。

拾い歩幅で棚田を進む(ここでは青々)。

誰だ?

エンリケだ。と写真家。

そうか、私はマゼランだ、と老人。

500年の航海が終わる。

すべてのシーンが刺激に満ちている。おもしろかった!


2019-02-15

_ 新しい車のLKASに感動した

LKAS(Lane Keeping Assist Systemの略だと思うがわからん)には心底驚嘆した。

新しく買ったFitのHonda Sensingをいろいろ試していたわけだが、やっと高速道路を使う機会があったので、ACC(Adaptive Cruise Controlの略らしいが、順応型クルーズコントロールというのだろうか、要は前を走っている車の動きに追随するってことだな)とLKASを使えるというわけだ。

ACCはすぐになるほどと思った。効果はすぐにわかる。

以前の車のオートクルーズは設定した速度をとにかく維持するだけで、前の車が上り坂になって減速、トンネルの入り口で減速と、間抜けな運転をすると当然、ブレーキを踏む(わけではなく、オートクルーズをオフにすれば自然減速するから大体OK)ことになってあまりおもしろくなかった(のは、オートクルーズという機能に対してではなく、上り坂になると減速、トンネルの入り口では減速という、たわけた運転をする運転手に対してだ。すべての車がオートクルーズ機能を搭載すれば相当渋滞が緩和するのではなかろうか)のが、自動的に減速するようになったし、運賃ゲートでは相当便利な感じだ。

しかし、なんというか、いちいち減速する間抜けな運転手と渋滞発生を推奨するような機能でもあるわけで、なんとなく納得がいかないものがある。

が、LKASってのがどうも良くわからない。車線逸脱防止機能が働いているのはわかるのだが。

が、最後にICを出たところで、LKASはちょっと離れたところのボタンを押さなければ動かないことに気付いた。速度設定と連動しているACCと違って余計なアクションが必要というのと、前の車には相当する機能がなかったから気づかなかったのだ。

というわけで、試すのは帰りにお預けとなったわけだが、帰りは高速を使わずに一般道を走るのが慣習なので、また次の機会だな……となった。

が、帰りに道に迷って、なんかとんでもない山の中に入り込んでしまった。真っ暗だしおっかないな。

で、妻が電話にOKグーグル、東京に帰りたいとか話しかけて、道案内が始まることになった。

で、グーグルは頼んでもいないのに、吉井インターチェンジというところに案内したのだった。おそるべきことに、それは一本道で逃げ場がなく、そのまま高速に入るしかない。

しかも上信越自動車道という初めて入る道だ。どこまで道に迷ったんだか。本来は本庄のほうに進むはずが長野のほうに進んでいたらしい。

まあ、でもしょうがない、と、今度はLKASをちゃんとオンにした。

するとびっくり仰天。時速100km(にACCを設定した)で、えらくクネクネした道路を勝手にクネクネ走りだすじゃないか。

高速なのに周りが真っ暗で、走っているのはやたらと低速なトラックが時々いるくらいのくねくねした道を勝手に時速100kmで走りまくられるって正直なところすごく怖い。他人の高速運転に付き合わされているようなもんだが、他人ではなくロボットなわけだ。

制限速度が実は60kmなんじゃないか? と思うくらい、時たま追い抜く車は遅いし、道はくねくねしている。が、制限かけるとLEDで速度を表示するタイプの速度標識しかないから100km/hで間違いなさそうだ。が、あまりに怖いので95km/hくらいに落とした(ら、抜いていく車が来たので、100に戻した)。

すげぇ。と、恐怖が感嘆に変わるまで数分かかったが、これが今か、と、世の中が未来に進んでいるって実感できた。

とはいうものの、関越に入ったら、車線がかすれているとフヘーと音が鳴ってLKASが解除されたり(その頃にはメーターの見方がわかった)、そもそも道が緩やかにしかカーブしていなかったりして、上信越自動車道で味わったハンドルさばきの恐怖というか驚愕というかは完全に消え失せてしまってちょっとがっかり。


2019-02-19

_ メリーポピンズ・リターンズ

最初単なるSFX映画なんだろうと思ってスルーしていたのだが、ミュージカルだと知って子供と観に行った。

前回は似顔絵描きもやる煙突掃除人が天使だったが、今回はガス燈点燈夫(と呼ぶが、最初は消灯から始まるので、なるほど点燈夫は消燈夫でもあるのかと知った)が天使。

で、隣家の提督の大砲とかあまり好きではないし、前回と同じく子供はうざったくて、どうにもあまり気に食わないなぁとか観ていると灰色のロンドンを凧が徘徊しまくって、全然映画じゃねぇとうんざりしていて観ていたら、唐突に空が晴れて、なるほどこれをやりたかったのかと、ディズニー映画ではシンデレラの森の中の小太りの名付け親登場シーンをもしかしたら超えるほどの素晴らしい登場シーンで感動しまくった。すげぇ。これが登場シーンというもんだよ。辺りの空気が一変、これが難しいのだろう。実に素晴らしい。

で、前作と同じように、嫌がる子供(薬が風呂に変わった)の評価が変わり、不思議の国での冒険、反転世界での冒険、現実世界と子供の邂逅、親の開眼、天使たちの活躍、大団円とよどみなく進んで、楽しめた。

映画は良かったが、メタな部分ではいろいろやはり好きではない。

まず、全知全能の神が家庭教師として降臨するという設定である以上そこにけちをつけても意味ないのはわかっていても全知全能っぷりが気に食わない。おれは全知全能の神というのが大嫌いなのだ。

そこに目を瞑ればもちろん他に表現しようがないというくらい主演のエミリー・ブラントはまさにやれやれだのうんざりだのしょうがないわねだのがメリーポピンズ以外のなにものでもなく素晴らしいから映画としては文句ないのだけど。

天使を煙突掃除人からガス燈点燈夫に変えたのはなぜだか知らないが、おっさん集団が天使というのは、一昨日亡くなったブルーノのガンツ(アメリカの友人は好きだ)のベルリン・天使の詩と同期してしまっておもしろく思った。

ベルリン・天使の詩 [DVD]

しかし前回のバート(明白に人間存在ではないもの)と違って、今回のジャックはどうも天使のくせにバンクス家の長女と結婚しそうに見える。

ウェストエンドからイーストエンドへは、銀座から船橋へ行くぐらいに簡単なんだなという実情とか、少年時代のガス燈点燈夫は成年してもガス燈点燈夫だという英国階級社会の不愉快さと合わせて、どうにもおもしろくない。ジャックは楽しそうに仕事しているが、脚を骨折したり3日以上寝込めばとたんに失職して地獄に落ちるというのは、ちょうど読んだジャックのロンドン冒険実録で知っているわけだし。

バンクス家も知らずに築いた資産は帳消しになるわけだから、家だけは残るが、脱階級化して画家になれるのだろうか危うい。(子供は、あの家は隣家に提督がいる限り事故物件だから売れないだろうと言っていたが、確かにそうだ)

結局のところ、社会改良運動家の長女の未来も実に危うい。

とはいえ、ビッグベンでの天使たちの大奮闘はおもしろかったし、おちのつけかたも悪くない(思い出した。全知全能ではあっても、求めなければ与えないのだった。そこを忘れていたので、なぜはなからそうしなかったんだ? と観ているときは思わなくもなかったのだった)。脚本の練り込みも良いし、なんといっても暗い空が晴れた瞬間の美しさは何度思い出しても素晴らしい。

・もちろん子守歌のところの、特に2度めのあざとい演出は不愉快ながらも乗せられてしまうのだから映画としては悪くはない。しかし、真に感動的なのは登場シーンであることに変わりはない。

・ミュージカルとしては、一番の見せ場っぽい天使大集合で家に帰るところが、アップ多用で(そりゃ、据え置き長回しで撮れるわけがない画なのだが)、そこはやっぱり違うだろうという気分はある。

クレジットを見ていたら最後に、聞き覚えがない女性に捧げられていて誰だろう? と思ったがプロデューサーと同じ名字なので母親か妻か姉か妹か、もし妻なら内容とのシンクロがやはりあるのだろうかとかいろいろ考えてしまった。


2019-02-21

_ エキスパートPythonプログラミングとその他のこと

読むだけなら読めるのだが(というか読めないと読めない本が結構ある)自分では書いたことがないのでちょっとPythonを勉強しようと思って手持ちの本を探したら、ほぼ手つかずの、以前アスキーの鈴木さんから頂いたエキスパートPythonプログラミングと、その改訂2版が出てきたので読んだ。

改訂2版が出ているので当然そちらを読む。

が、これは残念なことにプログラミング言語の入門書ではなかった。

文字通りプロのPythonプログラマーのための、実用プログラムを作って残して保守するための方法についてのガイダンスだった。

Python2とPython3の違いや、文字列とバイト列の使い分け(プレフィクスで決まる)、イテレータ、ジェネレータ、デコレータ、コンテキストマネージャの上手な使い方(残念、おれにはユースケースがそもそも見えていないので特にデコレータは書いてあることはわかるのに、何をしたいのかよくわからなかった。AOPするための機構と考えれば良いのかなぁ。コンテキストマネージャはC#のusingのためのdisposeみたいだと思ったが、インターフェイスの代わりに関数名で拡張するわけだな)、パッケージング(Rubyで言えばGemの作り方みたいな感じだな)、C拡張ライブラリ作成ガイド、TDD、ドキュメンテーション、最適化などが網羅されている。

というわけで読んでみて良い本だとは思ったが(というよりも、仕事でPythonプログラムを書いているのなら必携書じゃないか?)、今のおれの需要には答えてくれなかった。

エキスパートPythonプログラミング改訂2版(Michal Jaworski/Tarek Ziade/稲田 直哉/芝田 将/渋川 よしき/清水川 貴之/森本 哲也)

で、しょうがないので本家のチュートリアルをやってみるわけだが、おれが知りたいことがない。

REPL(1行入力して、解釈させて、結果を表示するコマンドラインインターフェイス)が強力だからだろうか。

知りたいことは、普通に標準入力からデータを読み取って標準出力へ出力することなのだ。

が、これが出てこない。

せめてコマンドライン引数と思ったら、これも出てこない。(sysクラスが持っていることは標準ライブラリを眺めていてやっとわかった)

で、標準入力から数字の並び2つを取ると言う処理を書くだけに数時間がかかってしまって閉口した。

結局以下のようなコードになったが、本当にこんなやり方をするのが良いのかわからない。なんか異様に大袈裟な気がして落ち着かない。

import re
import sys
 
for line in sys.stdin:
    vals = re.findall(r'\d+', line)
    if len(vals) == 0:
        break
    first = int(vals[0])
    second = int(vals[1])
    ...

あと、LinuxマシンにPython3.5を入れたのだが、このバージョンでは埋め込み文字列(なんと使えないとわかった瞬間に忘れてしまったようだ。確かf'{first} {second}'のようだったような)が使えずに文法エラーになるのだが、埋め込み文字列が利用できないとは考えられなくて他の部分に書き間違いがあるのだろうtえらく時間が取られた。

結局、欲しいことは、printにカンマで並べれば(print(first, second))空白で区切って出力してくれることがわかったので、回り道のし過ぎだったようだ。

あとは普通のプログラムならlist、dictionary、array、range(for文書くのに必須だった)とリスト内包表記を抑えれば良いので楽ではあった(が、デコレータが必要となるようなプログラムを書く場合はまた別の話なのだろう)。


2019-02-24

_ 紫苑物語

新国立劇場で紫苑物語。

失敗したのは、千秋楽のチケットを取ったことだ。こんなにすごい舞台とは想像していなかった。あと3回くらい観たいが、もう遅い。残念極まりない。早く再演して欲しいものだ。

この作者の作品は、一度だけ70年代の中ごろ、東京文化会館で現代の作曲家展のような交響作品を集めたコンサートで聴いたことがあり、金管の響きが(どことなくスクリアビンを思わせなくもない)とてつもなく美しい音楽を作る人だな、と思った記憶があるのだが、今回も2幕の途中で音の構成がそういうところがあり、とてつもなく美しかった。

が、音楽だけが良いのではなく、なんといっても舞台芸術が素晴らしい。2階建て構成なのだが金属的なものをすごく生かしていて、途中そこに鏡が入り、中央のスクリーンにアップが入り、基本は暗いのだが、奥行きまで作られてこれまた圧倒的だった。

衣装もびっくりで、日本人デザイナーの手によるものかと思ったら(基本は狩衣のバリエーションに見える)そうではなく、主人公の2重性を片身で色が異なる衣装で表したり(色と性格付けに密接な意味を持たせているように見えた)、これまた良い。

歌手がまたえらく演技を含めて抜群。主人公の独立不羈の立ち姿、小狐の弱々しさ、謎の仏師の空とか実に良い。

終演後に子供も指摘していたが言葉の繰り返しが「あなたのなんちゃら」を「あなたあなあなたのなんちゃちゃら」のような方法で音楽を形作らせるのもおもしろい。

あまりにおもしろく、しかもべらぼうな内容だったので、ついホワイエで原作を買ってしまった。

石川淳はおれには何よりも雨月物語や春雨物語の現代語訳の作家なのだが、(なぜか創作のほうはあまり食指が動かなかった)、ここまでのべらぼうさとは知らなかった(なんか九州のほうを舞台にした作品を読んだ覚えがあるのだがまったくわからん)。

紫苑物語 (講談社文芸文庫)(石川淳)


2019-02-26

_ WTF経済がすさまじく刺激的だ

オライリーの高さんからもらったオライリーのオライリーが書いたWTF経済を読んでいるのだがすさまじくおもしろい。

現在550ページ(ちゃんと参考文献と索引が出ているので、本文は490ページくらい)のうち1/5くらい読んだところだが、一度メモ。

毀誉褒貶があるウーバー(とリフト)を取り上げているところで、目からうろこだった点がある。

ラッダイト運動とも関係するわけだが、おれ自身にそういう視点がそれほどなかった、あるいは気にしていなかったことだ。

何か産業に対して革新的なことが起きたりビジネスモデルがやってくると、それまでの産業あるいはその産業に従事している人間にとってネガティブインパクトが起きる。

通常、経営側にとっては一時的には導入コストがかかるが、期待通りの効能があるのであれば必然的にゲインの増大となるが労働側にとっては端的には失業だったり職業そのものの消失だったりそれまで不要だった新たな職責の到来だったりする。

だが、革新が提供するのは機能ではなく、質の転換こそが本質だ。

ウーバーの場合であれば、タクシー会社に雇用されている場合、勤務時間は仮に客が拾えなくてもタクシーの中にいなければならない。労働者は時間によって給料は保証されているが、それは会社が存続していることが前提となり、現実に全運転手が待機状態であればタクシーのランニングコスト、保有コスト、労働者の人件費だけが経営にかかってきて早晩倒産することになり、労働者は失業する。

ウーバー(実際のモデルはリフトで、ウーバーはハイヤーから始まっているので異なるらしいが)の技術的革新の中核はスマホを持った乗客予備軍からのオンデマンド配車システムであり、運転手はオンデマンドで労働することになる。ビジーなら無視可能(もちろん金は手に入らない)となる。オンデマンドということは、待機時間は事実上はゼロで、離婚訴訟のための浮気調査をしていても全然良いことになる。

一方運転手が供給過多となると、運転による収入は限りなくゼロに近づく。それによって、離脱する者が多数出てくれば逆に供給よりも需要が増えるので仕事が多くなるか、あるいは価格を上昇させられるので、収入は増える(この面を見過ごしていた)。

もちろんそれには頭が良い経営者と頭が良い労働者と頭が良い政府が必要でもある。革新によりビジネスモデルが変わったのだから、それに合わせた経営と労働と規制が必要となるからだ。

それを敷衍していくと、大量な労働者の確保を前提とした企業というのはほとんど不要となるのではないだろうか。

最終的には失業状態を前提とした政府によるセーフティネットの構築(資本再分配だが、夜警国家でも福祉国家でもない保険国家とでも呼ぶべきものだ)と、複数種類のオンデマンドビジネスを自在に行き来できる労働者と、極小数のプラットフォーマーとそれよりははるかに多いがあまり安定することはない労働アプリケーション企業、それらが生まれるために必要な資本市場(現在よりはるかに短期的な企業が多くなるために安定的なベンチマークを作るのは難しくなるから、インデックスファンド的な株式市場ではなくなるのではなかろうか)といった社会になるのが筋道に見える。(が、この中で一番頭が悪く振舞ってすべてをだめにしそうなのが政府だから、どうなるかはわからないが、未来はわからないからおもしろいのでそれで良いのだ)

WTF経済 ―絶望または驚異の未来と我々の選択(Tim O'Reilly/山形 浩生)


2019-02-27

_ メトライブビューイングのアドリアーナ・ルクヴルール

東劇でアドリアーナ・ルクヴルール。夢にまで見ていた、一生観られないだろうと思っていたアドリアーナ・ルクヴルールをネトレプコで観ることができるとは夢のようだ。

恋敵の貴族に毒殺されるという大筋と、哀れな花と私は卑しい僕ですの2曲くらいしかしらないのだが(とは言え、レナータスコットの全曲盤はそこそこの回数を聞きまくってはいるが、レナータスコットは絶叫するのであまり好きではない。が、これは悪くない)、チレーアは、プッチーニ、ジョルダーノ、レオンカバッロ、マスカーニと並んで大好きなベリズモというか新イタリア楽派というかの作家なのだ。(カタラーニは少し落ちる。ザンドナーイは知ったのが数年前なのでまたちょっと別)

全編出ずっぱりなのが、舞台監督の優しいミショネ(アドリアーナを見出して女優として育てた上に恋しているのだが、道化師のカニオと違って現実に一緒になって悲劇を起こすほど間抜けてはいないのだが、その分、味がありまくる)で、1幕は看板女優がパトロンの公爵に内緒で書いた手紙と、舞台で使う手紙が交錯するうえに、女優が書いたのは実は公爵夫人の代筆で、公爵夫人の愛人がザクセン伯で、ザクセン伯はラッパ手と偽ってアドリアーナと恋愛関係にありと、錯綜したまま2幕へ続く。

2幕は公爵の別荘で、公爵夫人をケルビーノのように奥の部屋に隠した伯爵は、公爵に連れてこられたアドリアーナに彼女をうまく逃がすように頼んで消えて、政治的陰謀の匂いを嗅いだミショネに首を突っ込むなと諭されるにもかかわらず伯爵(とはまだ気づいていない)の頼みにまけて公爵夫人を逃がそうとするところで、お互いの立場に気付いて罵り合いになって幕。公爵夫人はショールを落とすは、腕輪を落とすはの間抜けっぷりを発揮するのだが、なんなんだ。

3幕は公爵がしつらえた舞台で長いパリスの審判。そのあと公爵夫人が散々アドリアーナにイヤミを言いまくるので、怒ったアドリアーナがフェドールの一人芝居にかこつけて公爵夫人を罵り倒す(それにしても現実のフェドールにブイヨン公爵夫人が因縁を持っているとは)。

4幕、すごく短い。臥せっているアドリアーナをミショネが慰めに来る。彼女と結婚するつもりでとっておいた叔父さんの遺産をつぎ込んで公爵から彼女のアクセサリーを買い戻してプレゼントし、劇団の仲間が励ます。しかし、伯爵の名前をかたる赤い箱が届き、開くと死の香りが彼女を直撃する。ミショネの計らいで到着した伯爵からのプロポーズに喜ぶが、時すでに遅し、死にたくないと言いながら死んでしまう(まるで椿姫だ)。

こういうオペラだったのか。

ノセダの指揮はつんのめるように1幕、2幕の序曲を振る。4幕の序曲ではうってかわって歌いまくる(音の作り方が抜群なのはチレーアの才能なのだろう)。悪くない。

演出は全裸を出さないマクヴィカーだが、3幕の構成、特にパリスの審判はどうにもマクヴィカー好みな舞台でおもしろいことこの上ない。

ネトレプコの卑しい僕ですは、最初なんかプラスティックコーティングみたいな感じで、???という感じだったが曲が進むにつれて高音がとてつもなく美しく、演技も抜群(3幕の見せ場は実に立派)で、やっぱり当代きっての名歌手だ。

ベチャワは普通にベチャワ。演技はうまいが歌はベチャワ。

ミショネのマエストリって、おそらく愛の妙薬のドゥカマーロを歌っていた人だと思うが、なんか実に好感が持てる歌いっぷり(幕間インタビューでポレンザーニに頑として英語で話さずイタリア語で押し通そうしたのはどういうユーモアなんだかよくわからん)で好き。公爵夫人のラチヴェリシュヴィリという絶対覚えられない名前の人はすごかった。これまた文句なく名歌手だ。

あーおもしろかった。やっぱりベリズモが一番好きだ。

(NHKのイタリアオペラでモンセラカバレがやったとは知らなかった。1~2年早かったんだな、残念なことだ)

チレーア:アドリアーナ・ルクヴルール(チレア/レヴァイン(ジェームス)/フィルハーモニア管弦楽団/ドミンゴ(プラシド スコット(レナータ)/ワトソン(リリアン)/アンブロジアン・オペラ・コーラス/スコット(レナータ)/ドミンゴ(プラシド))

(レナータスコットだが悪くない)


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