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日々の破片

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2004-06-01

_ JSC

リフレッシュしたいぞごるぁ

タイムリーな。

で、FAは、リリース版ではページはリクエストスコープに移動するからコンストラクタで作っとけ。

しかし、それは設計思想の大きな変更ではなかろうか?

_ 例え話有害論者の罠

圏外からのひとことへの突っ込みを読んでいて目からウロコが少し剥がれた。

ほとんどの事項で例え話は基礎知識のない人への有害情報になり得ます。

というような言明は特にスラドなんかでも目立つが結構見かける。

で、この突っ込み者は、以下のように例え話では無い話をして無害情報を出している。

うつ病の原因はまだ完全には確定していないのですが、脳内シナプス間の神経伝達物質(セロトニン、ノルエピネフリンなど)が枯渇した状態です。

基礎知識の無い僕には、「クリンゴンがバリンゴンに攻めてきた状態です」と書いてあるのとほとんど変わらない。(追記:要するに、この説明が正しいのか間違っているかまったく判断できないということ。ここで重要なことは、基礎知識がないのは本質的には興味がないからであり、したがって何を書いてあっても別にそれが正しいかどうか調べる気にはならないということだ。逆に調べる気がある人であれば何が書いてあっても調べるわけだから元の主張=例え話云々は無関係ということになる)

ところが、次の段では糖尿病に例えているがこちらの説明はわかりやすい。要するに最初の例え話ではない部分は単なるお経に過ぎず(したがって確かに無害情報ではある。何もわからないから)、次の例え話は知見を得られるから意味がある。意味がある情報はなんらかの影響を持ちえるから少なくても無害ではない。確かに。

注)したがってこのコメント者は、結局は例え話をしてしまっているのだが、それによって僕は多少なりとも知見を広げられた。したがって書き出しとは裏腹に良いことを書いているのだ。

ということは、例え話でない無害情報というのは、「素人は黙ってろ、どうせわかんないだろ? ほれほれ」という、口をつぐませるための方法論なのではないか? それにより素人がコモンセンスからの異議申し立てを封じ込めることによって無害化するという意図があるのではないか? それに反して例え話は有害というのは、素人が口をはさめる余地を与えるということなのではないか?

もちろん、素人は黙ってろという局面は多い。少なくても僕の分野に関してはそういいたいことは多い。だが、そんなことは知ったことではないのだ。つまり、ほとんどの場合、素人のコモンセンスってのは誤りかも知れないが、そのいっぽうで素人による異議申し立てにより世のありようが様変わりし、結果的に人類が得することがあるということもまた事実としてあるからだ。

また、専門家(特に医者だよ)の思い上がりによって誤った方法論が蔓延することだってあるわけだ。したがって例え話でない妄言(間違っているという意味では例え話よりも程度は低い)の可能性も未来から振り返ってみればありえる。例える必要もなく歴史的な事実を挙げれば、火傷の治療だの傷口の治療だのがころころ変わるのを目にしたし、胃潰瘍がストレスに由来したかと思えばピロロン菌になってみたりしてみたりしたのも見たわけだし、コレステロールが悪党だけから善玉がいることになりさらに基準値が上がったり(金銭的な問題かも知れず)、切ってみたり切らずに残したり薬を与えたり自然においたり、世界で最も信用ならない商売と言えば、医者と政治家というくらいのものだ。(君子は豹変すべきであるし、過ちて革めざるこれ過ちなりだから、ころころ変わるのは問題ない。ただ、その場その場で偉そうな=反論を認めないような口をきくのが問題なのだな。)

言えることはせいぜい、例え話は有害かも知れないが無害かも知れない。また、例え話でないとある時点で考えているものもしょせん例え話に過ぎないかも知れないし有害かも知れない。人はその時代とその人自身によって制約された範囲でしか何も語れない、ということだ。

というわけで、例え話大いに結構。毒にもクスリにもならない無害情報よりは、毒にまみれた有害情報のほうが百家争鳴を巻き起こせる分だけ望ましい。

あるいはこういう見方もできる。

人は自分の考え方に制約されるから、例え話を否定する人というのは、

・例え話によってミスリードされた経験がある

・例え話と主題を結合して判断することができない(から、他人もそうだと考える)

・類推力に乏しいため、例え話によって混乱する

・類推力が強すぎるため、例え話によって混乱する

のかも知れない。逆も真で、例え話をする人は

・例え話によって物事の理解が進んだ経験がある

・例え話と主題を切り離して判断することができる(から、他人もそうだと考える)

・類推力が適度なため、例え話によって与えられた心象によって対象となっている事物の認識を深めることができる

のかも知れない。

ものは言いようだ。

追記:意図的に有害/無害の二元論を出しているが、実際には直交した有益/無益があるのだ。で、無害/有益は実は屁のツッパリ程度にしかならず(印象に薄かったり、直接的な働きかけを出来なかったりしやすい)、有害/有益にこそ価値があるのではないかということなのであった。まったく、例は重要ですね。例題もなかなか難しいです。

さらに追記:元の題材が微妙な問題だったため、夾雑な内容になってしまいました。一応、書いておきますが「うつ病をどうたとえるのか、それは無害か」はまったく書かれた内容とは関係ないことです(ただし引っ張られたため医者の悪口が出てきたりはしているので、影響は受けてはいます)。しかし関係無いとはいえ、それが切り口になっているため、この内容によって気分を害されたかたもいるかも知れません。それについては軽率に俎上に乗せたことをお詫びします。

本日のツッコミ(全12件) [ツッコミを入れる]
_ いがぴょん (2004-06-01 06:50)

私が初心者向けのIT記事を書く際には、いかに例え話を作り上げるのか、その点に注力しつづけ、あるいは注意して書いています。<br>副作用の少ないたとえ話を作るのは、とっても難しそうですね。

_ hoshi (2004-06-01 10:23)

比喩は優劣の差が極端に大きい。才能も必要。それと弱者(実在の病名とか)を比喩表現で使うことは、意図しないところで誰かを傷つける危険があり、物書きは最大限の注意を払う必要があります。

_ むらまさ (2004-06-01 11:39)

なんとなく、互換的にわざとやってらっしゃるような気もするのですが、ピロロン菌じゃなくてピロリ菌(ヘリコバクターピロリ)だと思います。

_ むらまさ (2004-06-01 11:39)

s/互換/語感/ でした。すみません。

_ arton (2004-06-01 13:01)

ピロロン菌は半分はわざとですが、本当の名前がわからなくなったからでもあります。ピロリ菌ですね、どうもありがとうございます。<br>>Hoshiさん<br>疑問を提出。理工系学生に対する論文の書き方指導の伝統あるいは有名な教科書、あるいは広く知られている方法論で、比喩の使用を否定するものがあり、それに脳みそと見識を縛られている人多数ではないかと感じている。そのような教育に関する事実はありや否や? (病名うんぬんは比喩以前の問題で、仮に医学的な事実であれ(ただしその事実が歴史や学派によって制限されるのもまた事実)直接的な言及によって傷つく可能性は常にあります。したがってここでの例としては不適切です)

_ kato (2004-06-03 23:34)

専門家が問題や発見について誠実に発言するということが重要なのでは? 専門家(例えば医者)が適当な比喩でしか説明しない(そもそも何してるか言わないか?)から,今の医療問題があるわけで(誰も現実の状況が分からないから).<br>問題は比喩事態にあるのではなく,比喩と現実とのギャップを表現しうるかにあるのではないか?

_ Ragamuffin (2004-06-04 02:26)

個人的には、「例え話でない無害情報」を理解できない状態とは、理解する努力を怠っている状態であると思うのです。今回の場合では、セロトニン、ノルエピネフリン、うつなどをキーワードにして検索すれば誰にでもすぐ判るものです。ただ、コメントという限られた字数では詳しく書くことができなかったので、情報源へのポインタを示すべきだったかもしれないとは思います。<br>さて本題の例え話ですが、階層があまりに異なるもの間での相関で例えるのはやはりミスリードに繋がる、詭弁であると思っています。今回は、神経機能不全と内臓機能不全は共に生理学という同一枠であり、かつ、物質が肉体を(精神機能をも)コントロールしているというドグマに基づいているわけです。なので「例え話」ではなく「類似例」として挙げたつもりです。

_ arton (2004-06-04 10:45)

>Ragamuffinさん<br> 言葉尻を捉えてネタにしてすみません。<br> で、それはそれとして「情報源へのポインタを示すべきだったかもしれない……」および「誰にでもすぐ判る」は誤りではないですか? たとえばUアロイでもSOAでもなんでも良いですがあることについての専門的な知識による裏づけを必要とするものについては、調べれば(言葉の意味は読み取ることができるため)誰にでもすぐ判ったつもりにはなれますが、それをどう利用できるか、その適用可能性は、その文脈で出現することの正当性は、といったことは実際に扱ったり類似する機能を持つものについての事前の知識や前提となる基礎知識などがなければ正しく理解することはできないのではないでしょうか。<br> つまり単に字面の意味がわかったとして、それで正当な判断がくだせるとは考えにくいものがあります。すなわち、深い専門知識の存在を前提としなければ、結局は例え話と50歩100歩に過ぎません。その50歩の差をどう捉えるかについて、例え話有害論者は奇妙なまでに楽観的であるか、あるいは他人の理解力をバカにしているか(最後の対比の前者であると他人の判断力を前提としているとしか考えにくい)のいずれではないか、ということが問題です。<br> 階層については、何を持って近いか遠いかの判断基準が曖昧であるという点から、似ていればOK,似ていなければNGというしょせん恣意的な判断に過ぎないことから、あまり重要な論点ではないと思います。脳と何だか忘れたけどを同じに扱って良いのでしょうか? それが類似しているからOK、類似していないから(とは言えたとえの対象となるということは実は概念的なところで同一概念を表しているかも知れず)NGという恣意性の判断基準を決めているのは、しょせん専門家のひとりよがりではありませんか?

_ arton (2004-06-04 10:49)

専門用語を並べて調べりゃわかる、調べなきゃ議論に参加するな、という態度を政治家、法律家、および他人の生命のやり取りを職業とする人間は、してはならないだろう。それは公衆の利益に反する態度である、なぜならば異議申し立ての巧妙な封殺である、というのも1つあったな。

_ Ragamuffin (2004-06-04 23:43)

私のコメントを読んだのならば判ったはずなのですが、私は専門家ではありません。「他人の生命のやり取りを職業とする人間」ではなく、現在進行形の患者、「自分の生命のことが頭から離れない人間」、素人です。(貴方が文脈を読めなかったことを判りました。)なので、その私が少々調べて理解できること、大して専門的でない知識、それらすら自力で把握できない人を、手緩い、生温い、オシエテ君であると思うのです。如何に数少ないケーススタディから本質を読み取るかというセンス(貴方の仰る「文脈」)は、事前知識や前提知識を必要としません。どこまで真剣に取り組むか次第です。尤も、私は自分自身に何が起きたのかを知ろうとしたので、流し読みしている人とは真剣さが異なっていたのでしょうけれど。つまり、「例え話でない無害情報」を「素人も理解する必要がある。ド素人の私が理解できたのだから皆にも出来るはず。」と思っているわけです。知らなければ、セカンドオピニオン(http://www.h5.dion.ne.jp/~life-so/presen/presen.html)もなく、「先生」から与えられた情報(貴方の仰るように簡単に変わり得る)だけに頼るという状態になります。セカンドオピニオンを発する者は自分自身で構いません。「百家争鳴」は医師と患者の間で行なうべきです。それが理想的なインフォームドコンセント(http://www.takeda.co.jp/ct/ic.htm)の在り方です。例えではなく平易に説明することの方がはるかに誠実です。「糖尿病に例えているがこちらの説明はわかりやすい」とのことですが、なぜ膵臓やインシュリンという「専門用語」は理解できたのに、ニューロンやセロトニンという用語は理解できなかったのでしょうか。理解する努力を放棄している、と私には読めました。安易な例えは「他人の理解力をバカにしている」と思います。言語哲学としての議論は悪くないでしょう。私も言葉遊びは嫌いではないです。しかし「他人の生命のやり取りを職業とする人間」はその手法を取るべきでありません。<br><br>さて、貴方と私では前提が異なるのに、結論は似ているようです。なぜでしょうか。<br><br>最後に、喧嘩を売るつもりはなかったのですが、文章が挑発的になっているらしいことをお詫びしておきます。

_ arton (2004-06-05 00:11)

いや詫びる必要はまったくありません。なぜならまったく関係ないからです。と何度も書いているんですが。それはご理解いただけないようですね。<br>もう一度書くと、Ragamuffinさんの書き込みは私にとっての触媒に過ぎません。あのカタカナの羅列に触発されたのです。私の職業は大量のカタカナを並べることにあります。しかし、私の使うカタカナはすべて私にとっては自明なものです。そこに自明でないカタカナの羅列が目に入ったのでいろいろ思い当たったということです。それが目からウロコという冒頭の表現でもあります。

_ Hien (2004-06-17 14:36)

いまさらでは有りますが、例え話を否定する人と例え話をする人の折衝について。<br>例え話をする人は、その比喩を適切に解釈するために有用な背景知識(及び、その比喩に対しての時としてトリッキーな適用ルール)をほぼ(汗)確実に持っているのに対し、<br>例え話を否定する人は、「例え話を聞く人は解釈に有用な背景知識を必ずしも持たず、よしんば持っていたとしてもその適用ルールを持っていない可能性もあり、また、解釈できたとしても、使用した知識が適切であったかどうかを確かめるのが面倒であるため、発言意図の伝達が不確実になり、有害である!」という主張を持っているのだろうと思います。<br>また、例え話を否定する人は、使用されている背景知識の選択権が自分に無いことを危惧しているという側面もあるようです(知ってはいるけど触れたくないジャンルのネタを使われるのを嫌って)。<br>ただ、こちらが低姿勢でのぞめば、例え話であっても受け入れてくれることが多いことから、やり込めたいという思いが先に立っているというのが実状のようです。<br>以上、前から自分でも気になってたことだったので、遅ればせながら書き込ませていただきました。


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