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日々の破片

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2009-04-04

_ ワルキューレ

新国立劇場でワルキューレ。

驚くほど明快な演出で、おれはこれまで誤読していたことを発見。

もっとも、誤読していたのは、2幕の夫婦喧嘩と長い独白が退屈でろくに聴いていなかったのが原因かも知れない。ワルキューレは最も好きだが、好きなのは1幕だなぁ、やっぱり。

というわけで、まず一幕は良かった。指揮はなんかあまり弱音を使わない、低音を強調した感じがする音を作っていて、でも最初のボボボボの部分とか僕は好きだが。

1幕は、無限旋律でえんえんとウェルズングのモティーフが美しい最高な曲だが、演出上は、春が来た途端に、床から緑のキノコ矢印がにょきにょき生えてくるのにはぶったまげた。フンディングは、DVな演出。でも、それにもましてジークリンデが反抗的で掴みかかったりもして、えらくスリリングである。舞台左にフンディングとジークリンデのほぼ等身大のウェディング写真のポスターが貼ってあって、ジークリンデが白く光る(どの部分だったかな? ヴェルゼ、ヴェルゼ、約束の剣をおれに寄越せかな)とか、いろいろ使うが、ノートゥングを手にしてフンディングを切り裂く演出はおもしろい。

ジークムントは若々しく、ジークリンデは美しく、いずれにしても、観られて良かった。しかし、ジークムントの科白が無頼漢の独りよがりな自己賛美(あるいは、空気が読めない一族というような印象を受ける。それはなかなかシビアな人生を送って来たのだろうな)に聴こえるような翻訳または演出となっている。たぶん、演出の方向が、だと思う。最後、部屋の後ろに暗く空いた奈落へ二人で飛び込む。

で、問題の2幕。ここでおれは誤読に気づく。

フリッカの屁理屈(と、これまでは考えていた)は、実は屁理屈でもなんでもなく、ヴォータンの英雄計画の急所を正しく指摘していたのだった。ジークムントがノートゥングを手に入れるというのは、ヴォータンの筋書き通りで、しかも直接的な助けで、これでは自立した英雄ではないというのは、その通り。それで、ヴォータンは裏切らざるを得なくなるのか。

それにしても、このやり取りはちゃんと詞を読むとやたらと愉快だ。

「まあまあできちまったものはしょうがないじゃないか、お前も覚えがあるだろう?」だの、「祝福してやれよ。そのほうが気分がいいぞ」だの、ヴォータンの科白はいちいちおもしろい。

かくして、ヴォータンは、自分が指輪の呪いの下にあることに気づき、アルベリヒ同様に、愛を断念しなければならないことに気づく。

しかも2つ。つまり、ウェルズングへの愛とブリュンヒルデへの愛、というかどちらも父性愛ですなぁ。これは辛いことだろう。

そして、ブリュンヒルデに長い独白を聴かせることになる。

が、木馬に乗って登場してきたブリュンヒルデは、叡智の女神エルダとヴォータンの娘ではあるが、まだ子供だ。ヴォータンの意図を理解できない。かくして、ヴォータンの思惑通りに、しかし独自の動きとしてジークムントを助けようとする。

独白では、ハーゲンの誕生も語られる。ということはジークフリートはハーゲンより一歳若いことになる。そのハーゲンが東京リングでは羊マーク(羊はフリッカ)のギュビッヒに居付いているのは意味深なような。これは今まで見落としていた。いやぁ、劇場の椅子に張り付いていると発見があるもんだ。それに、独白の中でヴォータンは自分はもう滅びるべきだと再三にわたってブリュンヒルデに告げている。契約で王となったが契約に縛られていて身動きが取れない、愛を求めてしかも得られない、死んだほうがましだ。

一方、ジークムントは親父の教育のせいで、文句なしの無頼漢に成長してしまった。造反有理と教えられているのだから、ブリュンヒルデがどれだけヴァルハラへ行こうと呼びかけても否定するのは当然だ。

フンディングと郎党は、ヴォータンの指かざし一発で即死する。犬だ。というよりもヴォータンが強過ぎる。

3幕は、病院で手術服を着たヴァルキューリがベッドに英雄たちを横たえて大忙しで始まる。ドアを脚でドンと蹴って開ける。確かに、奇を衒っている演出ともいえるが、岩山の舞台裏を考えると、正しいイメージだな、と気づく。戦場で死んだ英雄を集めてくるんだから、これが実態だろうな。

ジークリンデが赤ん坊の存在を告げられていきなりお助けモードに入るのはいつも唐突さに唖然とするのだが、説得力がある演出。ヴァルキューリもここで協力態勢に入る。病院にいきなり入り込むヴォータンの演出はかっこいい。

眠りのシーン、ブリュンヒルデは最後にヴォータンの意図に気づく。ブリュンヒルデが神性をはく奪され、ヴァルハラから追放され、もう2度とヴォータンに会うこともなく、ヴォータンは2度とヴェルズングと関わることはない、ということの意味を唐突に悟り、それを悟ったことを知ったヴォータンが、恐れを知らない自由な勇者のみが突破できるローゲの炎で包むことを許すというよりも、それは織り込み済みということで、大喜びでローゲを呼ぶ。そういえば、自分に訊けと、ヴォータンは何度もブリュンヒルデへ向かって怒鳴る。神々の黄昏のシナリオはこの時点で2人の間での共通認識なのかぁ、まったく気づいていなかった。それはそれとして、眠りと炎の音楽は好きなのだが(フォーレは好きではなかったようだが)、指揮のテンポがなんか中途半端で微妙な引っかかりを感じた。

かくして、ワーグナーはヴォータンの計画の物語を作っていたということになる。ジークフリートがルートヴィヒなら、ヴォータンはワーグナーその人であり、主人公はヴェルズングでもなければブリュンヒルデでもなく、もちろんジークフリートでもなく、ヴォータンその人なのだ。

そのため、ラインの黄金の演出はヴォータンが映画を観ているところから始まり、ワルキューレでは赤い槍を持ったヴォータンが暗がりに立つところから始まる。おそらく、ヴォータンが映写機で眺めるのは、ヴェルゼ時代に撮ったホームフィルムやブリュンヒルデと過ごした日々のホームフィルムなのだろう。

なんとわかりやすく整理してあることか、と、ウォーナーの手腕に感服した。それにしても、ラジライネンのスマートで、いかにも賢明そうなヴォータンは良い。(単純に歌はジークリンデの人が良かった。フンディングは声を震わせ過ぎにおれには聴こえていまひとつだったけど)


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