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日々の破片

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2010-03-28

_ パスタとスパゲッティ

外国人の親子が会話しているのを小耳に挟んだ(と仮定する)。

「小僧、腹減ったからソバでも食いに行くか。それともウドンにするか? ラーメンでもいいぞ」

「親父、ソバとかウドンとか今は言わないんだ。麺類と言えよこのバカ」

「それじゃあ区別がつかんじゃないか」

「でも本場の日本人は麺類と言うんだ、テレビでそう言っていたんだから間違いないんだ」

というようななのか? どっちも正しいから単なる使い分けの問題に過ぎないと思うけど。(米の飯じゃなくて)麺類を食いたいと総称でいうときもあるし、細分していうときもあるからなぁ。

ま、おれはスパゲッティーニとスパゲッティは区別しているけどな。

ディ・チェコ No.11 スパゲティーニ 3kg [並行輸入品]

む、今気づいたが、アマゾンはスパゲッティのこともスパゲッティーニと表記しているが、これはバグだな。

DE CECCO(ディ・チェコ) No.12 スパゲッティー 500g

(これは実際はスパゲッティ)

B0031NEGH6

(こっちは本当にスパゲッティーニ)

ペンネも好きだよ。

どちらかというと、10割ソバも3割ソバも区別なくソバと呼んでいたら、ある日、トンチンカンなシッタカブーリやシッタカブリーニがやってきて、「ソバと小麦粉を練ったもの」と呼べと言い出したというのに近い? まあ、確かに総称すれば蕎麦掻(すげえ、一発変換した)も仲間に入れられるから、それはそれでOKだと思うが。

ちなみに、おれはシッタカブリーノで妻はシッタカブリーナ、子供はシッタカブリニーナ、お釈迦様はシッタルーダだ。

イタリア万歳!

Viva Italia: Festive Italian Classics(Various Artists)

_ 80年代には代官山をうろついていたオイラが来ましたよ

携帯で飛ばし読みしていたネタってのが元にあったのか、パスタの話。

ってことは、こういう歴史の物語なのだな。以下はおれが自分で食ったり買ったりした記憶からの歴史。食い物屋や食材屋には別の観点があるだろう。

60年代には、スパゲッティ(ウドンを実は含む)とマカロニの2種類しかなく、かつスパゲッティにはミートソースというケチャップと挽肉のソースをかけたやつと、ナポリタンというケチャップとたまねぎの細切り炒めをからめたやつの2種類、マカロニにはホワイトソースを使ったグラタン(オーブンで最後に焼くやつ)しか(一般論、たとえばデパートのレストラン――ってものが今じゃ姿を消したような気がする)世の中では認知されていなかった。学校給食のスパゲッティってのはうどんだったな(うどんにケチャップをまぶせばスパゲッティというロジック)。しかし、オーマイがデューラムセモリナを使うのが本物だと言い出したのは、60年代末の頃だったような記憶がある。で、70年代に続く。(追記:思い出したが、ミートソースはナポリタンより遅れて輸入された。炒め物ものほうが料理が簡単だからだろう。最初にミートソースを食ったのは忘れもしない1969年の夏に、八王子のサマーランドの食堂でのことだが、それより前にはデパートの食堂でもスパゲッティはナポリタンしかなかったような。)

70年代に国内ではトラック輸送による流通革命とか、海外とは1ドル=360円縛りが完全に解消されて、海外に出かけるのも輸入することも普通になって、上で書いたようなことは変だという認識が広まった(というか、ケチャップというマジックワードが出てくることから想像できるように、上の3つの食い物がそもそもアメリカ経由で渡来した食い物)。ヨーロッパとの2回目の出会いである。この頃から、明治屋とか紀ノ国屋とかだとラザニアとかが普通に手に入るようになったはず。この頃になると、スパゲッティ1つとっても山のようなメニューが作れることが理解されるようになって、街にスパゲッティ屋がやってきた(壁の穴とか)。ちょうどソバ屋に行けばキツネもあれば力もあれば、カレーもあるでよ状態。納豆と海苔とか、メンタイコとかの和風ネタスパゲッティも登場してくる。もちろん、ボンゴレビアンコだとか、娼婦風とかも入ってきた。スパゲッティ専門店ではミートソースではなくボローニャ風という呼び方もするようになったのはこの頃から(しかしミートソースという呼び方もまだ根強い)。ブィトーニの進出もこの頃かな。デューラムセモリナは前提となった。しかし、肝心のアルデンテはまだまだ認知されていない状態。おそらくこの時代にアルデンテで出せば、この店じゃ生煮えを食わせようとしたばかやろう茹で直せクレーマーが続出したであろう。また、ハーブはきちんと認知されていないため、ジェノバ風はもう少し待つ必要があったと思う。

で、80年代に(もうちょっと早いと思うけど、おれの認識上)、イタトマ(こいつは広尾かな? 六本木が最初の店かも)とかボエム(こいつは代官山でよいのかな、原宿にもあったはず)とかが、イタ飯を食わせるようになって(ということは客単価1000円程度の店にそういうメニューがやって来たということ)、いよいよパスタという言葉が登場。つまり、メニューの中に、各種スパゲッティ、スパゲッテーニ、ラザーニアとかを集めた「パスタ」というカテゴリが登場した。アルデンテで食うのも普通のこととなった。もし、この頃、アメリカでもヤッピー文化の一端としてパスタ文化が入ったとしたら、アメリカ→日本の流れではなく、イタリア(の食品企業)が積極的に輸出攻勢をかけたと見るべきかも。パスタを尖兵にすれば、オリーブ油(実も)、ハーブ、調味料(ソースとか)、名前忘れたけどベーコンとハムの合いの子のようなやつなども一緒に売れるはずだ。さらに思い出したが、この頃、金がないからディチェコのスパゲッティを山ほど買い込んで、しょっちゅう娼婦風を作っては妻と2人で食っていた。作るのは簡単で材料も安いからね。そしたら、ある日、ジョン・ウォーターズの映画を観ていたら、金がないから毎日スパゲッティのようなセリフが出てきて苦笑したり。

おそらく、このときに、一部の間抜けな連中がパスタというカテゴリをスパゲッティを使った料理と誤認識したのだろう。で、その間抜けが「おっさん=スパゲッティ、若者=パスタ」と無知をさらしたのじゃなかろうか。でも書いて気づいたが、80年代って30年も前の話じゃん。その間に言葉が変質したのかなぁ。

っていうか、そんな誤解をしているやつは見たことないけどな。パスタはカテゴリで、スパゲッティは麺の種類だ。ただし、逆に老人(70以上)で、スパゲッティを総称で使う人は存在するかも知れない(ってのは、60年代においてはイタリア料理=ナポリタンまたはミートソースでほぼ100%だから。マカロニグラタンは手がかかる分だけ家庭料理には進出しなかった)。

しかし、アメリカの食文化輸入のせいで、60年代に新鮮なボンゴレビアンコが食えなかったのはかえすがえすも残念だ(スパゲッティでそういう料理ができるという発想が家庭になかった)。60年代には幕張(船橋かも)あたりに潮干狩りに行って、山のようにアサリを取って来たもんだけどな。もっとイタリアとは仲良くしといてもらいたかったものだ。


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