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日々の破片

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2014-12-07

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おばあさんが死んだがなかなか読みごたえがあったので、返却期間を延長してもらって、1つを除いて結局すべて読んだ。除いたのはオキナワの返還前の様相をルポした作品で、まあ理由はいろいろある。

全体に記憶の中にある1970年代の世情を映しているのだが(ルポルタージュなのだから当然だ)、50年近くたってもそれほど変化がない(道具立ては変わっても行動がそれに伴わない)人間の営みというものに興味を惹かれる。

おもしろさが抜群だったのは、『鼠たちの祭』という先物取引師たちを描いたルポルタージュでとにかくおもしろい。

何がそんなにおもしろいのかと言えば、まず第一には語られた一癖二癖それ以上ある先物取引師たちの人物像だ。阿佐田哲也の最上の麻雀もののような潰し合いがまずおもしろい。

ルポライターという立場の強みで、食った側と食われる側の両方を取材して勝負の両面を描いた部分は特におもしろい。

たとえば、伊藤忠雄とそのある時点までの子分格で2億円(当時だから卵を除けば今の20億円くらいの重みがあるんじゃないか)を貸したこともある板崎喜内人の毛糸勝負や、正田と増山の小豆勝負(どちらも食われた側だがある時点まではこの2人の勝負)がそれだ。

まず冒頭が、まるでフラッシュボーイズ(もちろんまったく違うのだが、それでも根底には相場という価格変動の場で勝負する連中という点で近しく思い出したのだ。もっとも50年という歳月が週単位の勝負をナノ秒に変えてしまったところだけは時代性を感じさせる)みたいな若手5人組(小豆アパッチ)が2年で50億稼いで今や大負債を抱えて沈み込んだところ(アパッチ族の滅亡)のインタビューで始まり、興味を大いに引き立てられる。

そして、この若手たちが板崎(興味を惹かれてその後を検索して調べると、相場といっても博打は博打、最後は沈んで消えていったらしい)の名前を出したところで、さらなる大物達に入り込んでいく構成が良い。

というよりも始まって2ページ目の

現代においてまだ20代、30代の男が天下を狙える世界があるということは感動的なことだった。しかも、高校を出ただけの親の威光も財産もない者たちが、である。

というのが、1970年代(高度経済成長が終わり勝ち組と負け組が固定化されたものの慣性で右肩に上がっている時代――負け組には単に物価が上がるだけの少しも嬉しくない状況――が、この時代のそれが一種のルサンチマンとなってデフレ脱却を遅らせる心理的要因になったのだろうなぁという意味では二重の呪いだ)に語られる点がおもしろい。「現代において」と「狙える世界」って実は恒常的なことだというのが良くわかる。、

と、阿佐田哲也の世界のような勝負の話でありながら、これが相場という経済戦争である点と、先を読む経験と勘と想像力によって全財産と体を張っていくところが、昨今の起業家やベンチャーのエピソードと被るところが実におもしろい。

次が、末尾の鏡の調書で、冒頭のおばあさんが死んだの対極のような83歳の詐欺師のおばあさんのルポ。対極だが円環は閉じるように詐欺師のおばあさんは正月の餅をのどに詰まらせて死ぬ。

その他、屑屋で働いて書いたルポルタージュの屑の世界は、純粋に興味深い。

北方領土について(日ソ共同声明の時は、北方領土がほぼ返還されるかのような扱いだったらしく)宗谷や歯舞をルポしたロシアを望む岬は、返ってきたら商売あがったりだという地元の声をはじめまったくそういう状況を知ることがなくきただけに驚異の世界だった。

何気なく書いたのだろうけど、12カイリのせいで、結果的に海洋資源が保護できていて助かっているという地元のコックの言葉は今でも有効なんじゃないかとか、ほとんど馴れ合いのように拿捕されるの承知で(ソ連から見て)密漁をしまくる漁師たちとか、おもしろすぎる。役所は政府の立場もあるから、北方領土を返せと口では言うが、町では本当に返って来たら困るという声のほうが多く、役人も本音としては町のためにはうんむにゃむにゃみたいな話で、このへんの多重化された構造が、鈴木宗男のような怪物誕生の土壌なのだなと納得する。返って来たら、北方領土を返せという何千枚だか何万枚だかを毎年役所に収めている業者が倒産するというのは、なるほど、それはそうだろうと思ったが、実にくだらないからどうでも良いが、漁業のあり方についての北方領土がソ連の手中にあることによる経済効果の部分は実におもしろかった。

天皇を襲った人たちについての不敬列伝は、興味深くはあるけれど、そして昭和というのはそういう時代だとは覚えているが、まあそんなものだろうか。ただ、皇太子(当時、つまり今上のことだ)に駅のホームでキャラメルを渡そうと思って近づいたら警官にぼこぼこにされてすべてを失った男のエピソードで、警官が殴り倒す前の時点で皇太子も何気なく手を出してキャラメルを受け取ろうとした、というところに救いというか、いい感じを覚えた。

売春防止法後の女性の救済施設(というと違う気がするが)のかにた村をルポした棄てられた女たちのユートピアは渾身のルポ。

この作品と屑屋の2本が作品としては白眉だが、特に沢木耕太郎らしい対象との距離の取り方についてはこの作品が転機となったのではなかろうか。取材する側とされる側の越えられない壁の大きさが最も大きく(屑屋であれば自分が働くこともできるが、性病をうつされて脳みそ含む身体がぼろぼろになっていたり、もともと精薄(IQ40とか)だったりする引退した娼婦にはどうあってもなることも追体験することもできないわけだ)、きれいごとだけでは世の中はなく(こういう素材は想像するに感動させるように書くことはおそらく簡単なのだが、そういうものを書きたいわけではないのだろう)、読者の側に立たなければ売れる作品とはならず、かといって作りたいのは創作ではなくルポルタージュであり、という自身の営為を見直しながら書いているのが手に取るようにわかるだけに(ということは、ルポルタージュとしては失敗作なのかも知れない)、すばらしくおもしろい。

特に印象的なのは、「さんざん楽しんだからこうなった」みたいな物言いを入院中に掃除のおばさんにされたという城田ばあさんの話は(そこは本題ではなく、そういう時に支えてくれたのは……というのが本題なのでスルーされているが)社会構造におけるステレオタイプの効用に対して気づかされるものがあって衝撃的だった。代弁者がいないというのはそういうことなのだな。

力作だったし、傑作だったし、1970年代のルポルタージュで1970年代の人に対して書かれたものにもかかわらず、50年たっても読む価値がある普遍性を獲得した良書だった。

人の砂漠 (新潮文庫)(耕太郎, 沢木)


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