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日々の破片

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2015-08-26

_ 赤煉瓦の河鍋暁斎

東京駅の方面に出かける用事があったので、ちょっと早めに会社を出て三菱一号館というとこにある美術館で河鍋暁斎の展覧会を観た。

丸の内側に結構なポスターが貼ってあって興味を惹かれていたからだ。

あのあたりは三菱がやたらとあるので地下道にある地図を見て、丸ビルを過ぎ、キッテを過ぎ、東京フォーラムのほうへ進んで、右手の12番からどこかのビルに入って、そして着いた。

エレベータを降りるなり係員に美術館へ行くなら傘を始末しろといきなり言われて右手を指さされて、見ると出口を出た中庭のようなところに傘立てがあるので、そちらで傘を置いてきたが、ちょっと面食らった。全体に通路が狭いのでなんか余裕があらゆる面で無さそうな妙なところに来たものだと感じる。

で、チケットを買ってエレベータで上へ上って下りると、河鍋暁斎とコンドルの二人展とか書いてあってますます面食らう。コンドル? ポスターにはどこにもそんなこた書いてなかったような。

で、いきなり二人のなれそめやら、上野のお山にコンドルが建てた藝大(違うかも)とか、暁斎が書いた上野の山の地図やらを見る。まだ西郷さんの銅像はなく、東照宮が異様にデフォルメされていて、さらに下に大仏があり(今は無いような、それとも隠してあるのか)清水院があって、面影はなくはない。楽しい。

で、百圓の枯木寒鴉之図を見る。

おお、すげぇ。なるほど、これが「これまでの修行の対価」と嘯いたというやつか、それだけのことはある、と感じ入る。鴉の脚から乗る枝の美しさが素晴らしい。

で、次にコンドルの部屋になり、鹿鳴館の階段とかいろいろあって、結構おもしろい。それでいきなり、そうかこの建物はコンドルの作品だな、と気付く(確認したら合ってた)。おもしろい趣向だ。

で、暁斎の弟子となって英斎と名乗って描いた作品がいくつかあるのだが、一目瞭然までに彼我の違いが明らかで、驚く。

良く線に迷いがないという形容を見かけるが、暁斎の画には線に迷いがないということなのか、と言葉の意味が二人の作品の違いでくっきりと浮かび上がる。

特に比較できるようにしたのか、英斎が暁斎の作品を模写した鯉魚のオリジナル(5匹)と模写(2匹)があり、2匹にするために小魚を配してあり、そこで英斎の構図は悪くないのだが、何が違うというと線が違う。

これが画才というものかと考えながら先を見る。

すると、暁斎の膨大な下絵やら絵日記やら日光スケッチ集(華厳の滝が何個も)が出てきて、さらに説明文として、毎朝、道真や観音を書いて筆先が鈍らないようにしていたとか書いてある。まるで毎朝起きると平均律を通して弾くのを日課としたというバックハウス(だったかケンプだったか)みたいだなと思いながらも、なるほど、それが修行の成果という嘯きであり、迷いの無い線の実態なのであるなとますます感じ入る。

つまるところ書いている量が半端ではない。英斎と暁斎の違いは画才ではなく量の問題なのだと先の考えの間違いを知る(英斎も構図は良いのだ)。

大山倍達の好きな言葉に、「きみぃ、素手で牛を殺すのなんて簡単なことなんだよ。毎日正拳突き100回を10年間やれば良いだけのことなんだ」というのがあるが、まさにそういうことであるなぁ。

コンドルが出てくるのはそこまでで、後は暁斎がたくさん。

絵日記がおもしろいのは(これまた毎日書いていたとのことだ)、途中から頻出する人物については判子を作って押していたという説明で、実際に「ワスレタ町のクアントールさん(というような表記になっているコンドルのこと)」という判子が押してあるページが2つか3つ展示されているのだが、妙にユーモラスであり、明治時代の英語の発音表記もおもしろく、何よりも、毎日絵日記を書き道真やら観音やらを書く修行とは別に、判子で済ませる合理性にしびれまくる。こういう人は大好きだ。

でっかな顔の猫が田圃からにょっきり顔を出して、畦道を行く旅人が二人腰を抜かしている画が、絵ハガキ大の作品なのにはちょっと驚いた(もっとでっかな画だと思っていたからで、ちょっとカントールの群集画の実物を観たときのような驚き)。

幕府と長州の戦争を蛙に見立てた画のおもしろさ。最後のほうに出てくる江戸期に描いた作品には狂の字が多く、狂斎の号も確認できた(なので暁斎と書いてキョウサイと読むらしいが、暁はギョウだけどな)。

姑獲鳥(うぶめ)、多分、尾上というような字が書いてあるから歌舞伎画だと思うのだが、これが凄惨なスピード感(velocityとはこういうことか?)と迫力があり、生首を咥えた狼の生首の異様な色遣い、贋作というか他人の名前を騙って描いている付喪神達。

顔が女陰の鬼が棲む大江山(じゃないような気もしてきたが、どこかの山に修験者の格好をした雷光一行じゃないかなぁ、よくわからない絵巻物)の春画が、あまりに奇妙でなんじゃこれ? と何度見てもなんだかわからない。

春画と言えば、12月それぞれを描いた絵ハガキみたいなのがあって、そのうち1枚、でっかな何かの中に入って男の顔だけ出ているのがやたらと印象的なのだが、観たそのときはそれが何月でそれは入っているものが何だからとわかったのに、今思い出そうとしても出て来ないのがおもしろい。

その12月のを見ていて、なるほどわらい絵とはこういうことかと思わず笑いそうになる。やっと心から納得したが、あまりにもすべてにおいて極端なので一笑を誘うということなのか。

と、朝から晩まであらゆる画を書きまくっていた(いきなり当日200枚書いたというような説明文もあった)おかげで融通無碍の境地に至った職人というか技術者のことを、画師と呼ぶのだなと考えた。

良いものを見た。

反骨の画家 河鍋暁斎 (とんぼの本)(博幸, 狩野)

(この画の実物が意外と小さい)

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
_ klmquasi (2015-08-27 09:35)

上野の大仏様はいまは顔だけになっておいでです。

_ arton (2015-08-27 10:08)

おおそうなのですね。今度行ったら探して拝んできます。どうもありがとうございます。


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