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日々の破片

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2021-12-20

_ 蝶々夫人異聞

1900年、プッチーニは蝶々夫人の作曲に取り掛かった。

さて、とプッチーニは考える。アメリカ人のピンカートンと日本人の蝶々さんそれぞれにライトモチーフを与えたほうが良いわけだがどうしようかな? つまり、それぞれの登場や、それぞれが考えているときの背景に流すモチーフなわけだが、そもそもイタリア人にはアメリカや日本だとわかるモチーフとかあるだろうか? というか、そんなものは無い。イタリア人のおれには良くわかる。

ということはだ、とプッチーニは沈思黙考する。やばいな……

そうだ! そういえばジョルダーノのクソ野郎が1896年に作りやがった忌々しくも成功しやがったアンドレア・シェニエではラ・マルセイユーズを使いまくってたな。

確かに、ラ・マルセイユーズが流れりゃ、ここはおフランス、今は革命とすぐにわかる。それは良いアイディアだ。ジョルダーノにしては上出来じゃん。ぱくぱく。

さてアメリカはイギリスから独立したから革命歌がありそうだが、そんなの知るか。調べるのも面倒だから国歌を使えばいいや。ていうか、そのほうがイタリア人にはわかりやすい。えーと、確か星条旗は永遠なれだっけ? やれやれ永遠とはね。何、すぐに滅びるだろう。何しろアメリカには文化とか無いし。でも待てよ、ってことはおれのオペラとか奴等に聞かせたら興奮のるつぼでがっぽがっぽと稼げるんじゃないか? うむ、間違いない。蝶々夫人が終わったら、次はアメリカを舞台にしたオペラを作って、アメリカで初演してやろう。後でトスカニーニに根回ししておくか(次作、西部の娘(ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアを舞台にしたカウボーイの復讐の物語)は、1910年、ニューヨークのメトでトスカニーニの指揮で初演され大成功した(ただしアメリカでだけ))。

が、日本の音楽はさっぱりわからん。というか、東の猿の国に国家とか革命とかあるのか? ねぇだろうな。しょうがねぇ連中だな。

とはいえ、あきらめてもまずいし、楽譜はリコルディから出版されて永遠(そう、これこそ永遠と呼ぶのにふさわしい)の価値を持つわけだから、適当かましたらやばい。

うーん、しょうがねぇな。リコルディあたりに頼んで、とにかく文化を知っていて教養がある、つまり音楽とイタリア語がわかる日本人の協力者を見つけることにするか。

というわけで、イタリア駐在特命全権公使の妻を協力者としてインタビューできることになった。

「でだ、奥さん、日本に国歌はあるんか?」

「そんなものはありませんよ」(君が代は紆余曲折の末1890年にエッケルト版(現行版)が成立したが、小学校のお祭り用にしか用いられていない)。ちなみに1903年にドイツで開かれた万国国歌コンクールで君が代が1位を取ることになるが、1900年現在のプッチーニも公使夫人も知る由はない。

「えー、や」

「まあ、野蛮な連中が多い国ですからね」

「これは、し」

「失礼な人だと思いますが、芸術家ってのはそんなものでしょ、邪菰」

「ひでぇ呼ばれ方だけど、まあお相子ということで、では革命歌は?」

「そんな気の利いたものありませんよ」

「でも、なんか将軍と皇帝で戦争して皇帝軍が勝ったわけでしょ?(調べた)」

「皇帝というよりも、薩長ですけどね」

「で、皇帝軍だって行進すれば歌とか歌うんじゃないですかね」

「あー、そういわれれば」

「それをぜひぜひ」

「宮さん、宮さん、お馬の前をひらひらするのはなんじゃいな? あーれは、賊軍成敗せよとの錦の御旗じゃ知らないか」

「なんだ、その歌」

「薩長土肥の野蛮人にはぴったりですよね」

「でも、音階は東洋風だし、調子は良いからオーケストレーションで頑張ればどうにかなりそうだな(音色の計算を始める)」

「さすが、芸術家ですわね」

「で、どういう意味なんですか? その歌」

「宮さん、正確にはお宮様で、皇帝というか天皇家の人に対する呼びかけで始まりますね」

「えー、皇帝が親征したんですか?」

「まさか。多分、親戚の誰かが人質として薩長と一緒に進軍させられたんでしょうね。ここでは、「王子様」とでも訳すと良さそう」

「王子様って、王政復古の反動のクソどもなのか? 皇帝とかいうから、逆だと思ってた(フランスではナポレオン帝政の後に、ブルボン王朝の反動期が来てすさまじい抑圧と虐殺があったのをプッチーニは知っていたし、前作トスカで、ナポレオン派(=民主主義者)をナポリ王党派の連中が虐待して殺戮する不愉快なオペラを作っている)……」

「まあ、相手も将軍ですし、気にしてもしょうがないですよ。そちらのガリバルディも統一したらエマヌエルⅡ世の王国にしちゃったじゃないですか(1860年テアーノの握手)」

「ああ、奥さん、確かに私は教養人を協力者に迎えられたようですね。では「王子様」の続きを」

「王子様が騎乗している馬の前を旗持ちがぴらぴら妙なものを翻しているが、そりゃなんですか?」

「それ、沿道の住民が行軍を見ながら歌ってるってことですか?」

「行軍しているのが野蛮人だから、王子様の馬の周りを見て、あれはなんだろう? わけわからんけど、おれたちそもそも何のために武器持って歩いているんだ?と話し合ってるってことでしょう」

「ひでぇ内容だ」

「まあ、薩長のことですから」

「では続きを」

「あの旗は、錦の御旗といって、天皇御自らから賜った旗で、それを掲げた軍隊は、賊軍、つまり天皇に反逆する者どもを虐殺してよろしい、という委任状を意味するのだぞ、なんと名誉なことだろう」

「わけわからん。まあ、歌詞は使わないからいいや。どうもありがとう」

「お役に立てたかしら?」

「あと、そういうの関係ない普通の音曲もいくつか教えていただければ」

「桜はどうかしら? さくら、さくら……」

「あ、それいい。良いシーンで使おう、メモメモ」

かくして蝶々夫人はできあがったが、あまりにピンカートンが反省しないクズ、アメリカ領事は日本人を猿扱いする愚物と、さらには蝶々夫人とピンカートン夫人がキャットファイトを口で繰り広げるというひどい代物でブーイングの嵐となった。

プッチーニは反省して、アメリカ領事は軍人として明日の命もわからぬピンカートンの事情もわかり子供過ぎて契約結婚の意味がわかっていない蝶々夫人に深く同情もするまともな政治家としてセリフを削りまくり、ピンカートンにはクズではあるが最後の最後に深い後悔を示す歌(愛の隠れ家)を与え、蝶々夫人とピンカートン夫人のキャットファイトは、蝶々夫人に忠実な女中(オペラ文脈では財産が尽きても椿姫に最期まで寄り添う女中や、アンドレア・シェニエの恋人のマッダレーナのために体を張る女中のベルシとか前例があるので観客にも納得させやすい)とピンカートン夫人の密やかな話し合いにと大幅変更して、最終的には大成功を収める。


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